ニュースレター

▼電磁気今昔物語

◆第1回:関ヶ原の合戦とウイリアム・ギルバート

 電磁気今昔物語としてJEIC電磁界情報センターニュースの読者に電気や磁気に関連することがらを役に立つこと役に立たないことを気楽にまた思いつくままに紹介し、センターの活動に興味を持っていただきたいと思います。
 第1回は、「関ヶ原の合戦とウイリアム・ギルバート」の表題で、磁気学が系統立った学問として世界史上で認知されはじめた時代とその周辺の年代をたどってみました。共通するキーワードは西暦「1600年」です。
 1600年(慶長5年)は、我が国の長い歴史の中で、東軍の総大将徳川家康ひきいる10万の軍勢と西軍は豊臣秀吉の家臣である石田三成を大将とした8万の軍勢の両軍が関ヶ原で対峙し、天下分け目の戦いとして世に名高い関ヶ原の合戦の火蓋が切って落とされたことで有名な年です。9月15日、霧の中、わずか6時間の激戦の末に西軍の三成が敗走して勝負がついたといわれています。この戦いに勝利した家康は、秀吉の天下を引き継ぎ、300年にわたる徳川による幕藩体制のきっかけを手に入れたことは歴史上有名な事実です。今から振り返ってみると、この関ヶ原の戦いは、わが国の将来の運命を左右する大きな戦いであったといえるかもしれません。現在、関ヶ原の合戦が繰り広げられた狭い谷間には、日本の交通の幹線を担っている名神高速道路や東海道新幹線が通っていますが、新幹線の車窓からは合戦の舞台となった古戦場の面影を偲ぶことはできません。また、2009年(平成21年)のNHK大河ドラマの主人公である直江兼続が、米沢藩上杉家の家老として家康を相手にして活躍したのもこの時代です。
 関ヶ原の合戦で戦いに明け暮れている同じ1600年、磁気の研究では、歴史上有名な「磁石論」がイギリス、ウイリアム・ギルバート(1544-1603)により著わされました。彼は、地球それ自体が一つの大きな磁石からなっているということを、球形の磁石のまわりの小さな磁石の振る舞いから類推して「磁石論」に記しました。古来より中国での指南車に見られるように、磁石が南北の方向を向く、また磁石が鉄を引き付けるという現象は目新しいことではありませんでしたが、様々な磁気現象についての緻密な実験と推論の末に磁気学の基礎を作り上げたことで、今では科学史上必ずと言っていいほどギルバ-トの名前を見ることができます。ウイリアム・ギルバートはイギリスの医師であり、エリザベス女王(エリザベス一世)の侍医として活躍し、1603年に亡くなった女王を追うように数ヵ月後に死去しました。その死因はペストであるといわれています。
 その「磁石論」の正式な表題は、「磁石と磁性体、そして大きな磁石である地球について多くの論述と実験で証明された新哲学」です。この表題から分かるように、ギルバートの主張は、地球は大きな磁石であるというところにあり、ここで示す「新哲学」はまさしく「磁気による哲学」を意味しその後の西欧における科学哲学に大きな影響を与えているとされています。このころのヨーロッパは、ニコラス・コペルニクス(1473-1543)による地動説の提唱、ティコ・ブラーエ(1546-1601)、ウイリアム・ギルバートの影響を受けたとされるヨハネス・ケプラー(1571-1630)がとりまとめた天文学の発展(ケプラーの三法則)が見出され、宇宙の理論的な体系づけによる近代科学の出発点となる時期でした。そのような時期にギルバートの「磁石論」が著されたのです。
 近代科学の黎明期に現れたギルバートは、地球は大きな磁石であるということを述べ有名になりましたが、「磁石論」は先人の重要な仕事が引用されていなかったり、また引用しても自分の仕事であるかのように論述していることが散見されているようです。そのような先人の仕事には、イタリア、ナポリ生まれのデッラ・ポルタ(1535?-1615)が著わした「自然魔術」(1558年)の第7巻(第1版)56章からなる「磁石の不思議について」、「伏角」(磁針の北は水平より下の方向を向く)の発見と測定を行ったイギリスの職人ロバート・ノ-マンの研究(1581)などがあったとされています。
 「磁石論」は全6巻よりなっており、今日、積極的に評価されているのは、第2巻2章に記載されている通り、ギルバートが検電器を考案し、さまざまな物質の静電気的な引力に関する議論を重ね、今日の静電気現象研究の出発点を築いたとされることではないかといわれています。何はともあれ、ギルバートが「磁石論」を著わしたことから、磁気学の祖といわれていることは間違いがない事実です。
 一方、なぜ地球が大きな磁石になっているかという疑問に対しては、いまだに十分に信頼できる解答は得られていませんが、日本の研究者によるダイナモ理論が提案され一応の決着がついているようです。それは、地球中心を占める溶融鉄の流体からなっている核内でダイナモ作用と呼ばれる発電が進行し、その電流が作る地場が地球の磁場になっているという考え方です。
 関ヶ原の合戦に先立つ数ヶ月前、1600年3月、オランダ船リーフデ号(正式名は、エラスムス号)が今の大分県(豊後)臼杵港外の海岸に漂着したことも、我が国の歴史にとって重要な出来事でした。この船には、その後日本の歴史に大きく貢献するイギリス人ウイリアム・アダムス、オランダ人ヤン・ヨーステンが乗り合わせていました。ウイリアム・アダムスは、関ヶ原の合戦に勝利した家康に外交・通商顧問として仕え、三浦半島(横須賀)に領地を賜わった三浦按針その人です。また、ヤン・ヨーステンも同様に家康に顧問として仕え、今日では、江戸での住居跡東京八重洲の地名に彼の名が残っています。このような事実から、歴史的には1600年が我が国とオランダ、イギリス両国との交易の始まりであるともいわれています。漂着したリーフデ号は、その後、江戸まで回航されましたが、残念なことに解体されてしまいました。しかし、解体から失われず今日まで伝わっているのが国宝となった木製の船尾の立像エラスムス像で、オランダとの交易の象徴として今でも東京国立博物館に保存されています。
 1600年代は、イタリアのガリレオ・ガリレイ(1564-1642)やフランスのルネ・デカルト(1596-1650)が生きていた時代です。我が国では、1600年以降、三浦按針やヤン・ヨーステンが外交的に活躍する一方幕藩体制の基礎が次第に築かれていった時期であり、1633年には、家光による第1回の鎖国令が発布され、徳川による政治体制が強固なものになっていきました。歴史上の事柄に「もし」ということはありませんが、「もし鎖国令が発布されなかったら、西欧の近代科学の導入により我が国の近代化が早まったのか、はたまた中国などと同じように西欧列強に侵略されたのか」など1600年以降を考えると興味が尽きません。
 参考)
(1)ギルバート、ウイリアム:磁石論(三田博雄訳)「科学の名著(7)ギルバート」(朝日出版社、1981)
(2)山本義隆:磁力と重力の発見 第3巻(みすず書房、2003)
(3)日本の歴史:第13巻(江戸開府)および第14巻(鎖国)(中央公論社、1966)

◆第2回:磁石、磁気の医学的効用

 ウイリアム・ギルバートの「磁石論」、第1巻14章に「磁石のほかの諸力、その医療性」、15章には「鉄の医療力」の項目がもうけられ、磁石の医学的効用について述べられています。特に、第14章では、“ニコラウス(注:ギリシャの医者)は神的膏薬の中にかなり大量の磁石を入れている。それはちょうどアウグスブルグ(注:ドイツの都市名)の医師たちが、新たな切傷や刺傷のための黒色膏にいれているのと同様である。その痛みを覚えさせずに乾燥させる力にゆえに、それは効験ある有力な治療薬になっている。同様にパラケルススもまた同じ目的から、かれらの刺傷用の膏薬のなかに成分(注:磁石)としていれている”と記述され、治療に磁石を用いた医師としてのパラケルスス(1493-1541)の名前が「磁石論」に現れてきます。このような記述を見ると、古来より磁石、磁気の持つ能力が医療薬として使われてきたことが垣間見えます。
 初めてパラケルススの名前を目にした時を思い出しますと、磁石、何か目に見えない磁気が持っている能力を利用して、病人を治療することで、歴史上有名な医師、魔術師、錬金術師との印象を持ったのが実際のところです。しかし、その後、医師としてまた神学者・思想家としてルネッサンス期のドイツで活躍し、ヨーロッパ中を放浪した知識人としてのパラケルススが本当の姿であることがわかってきました。1993年、ドイツでの生誕500年記念切手の発行などにそれを見ることができます。
 夏目漱石の「我輩は猫である」にも、“この点に関してはゲ-レンもパラセルサス(注、パラケルスス)も旧弊なる扁鵲(へんじゃく)も異議を唱うる者は一人もない”との文章が見られ、パラケルススの名前が古来より著名な医師の一人としてさりげなく描かれています。ゲーレンはマルクス・アウレリウス帝の侍医として宮廷に仕え、扁鵲も司馬遷の「史記」に名医として名前が出てくるとのことです。パラケルススは、本名をテオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(Theophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheim)といい、スイス・チュリッヒ近くのアインジーデルンで生まれ、ザルツブルグで貧窮のうちに客死しています。パラケルススは、父親から医学の指導を受け、その後、錬金術(化学)を学び、ヨーロッパ中を遍歴しながら医学を学んでいます。バラケルススは鉱山病の告発、炭坑夫の塵肺、鉱毒による中毒などに注目して、今から考えると産業医学の先駆となる著書もあらわしています。有名な画家のルーベンスがパラケルススの肖像画を描いたと伝えられており、ドイツではパラケルススにちなんだ通りや学校があるとのことです。
 しかし、実際のパラケルススはどのような知識人であったのでしょうか。彼の著述が、医学、錬金術(化学)、神学など多岐にわたっていることは事実ですし、いま辿るとその表現には当時の学術を著わす言葉であるラテン語が使われておらず、ドイツ語を用いた講義や著作を行っていることが重要な意味を歴史的には持っています。今から見ると、このことはルネッサンス当時の学術が花盛りのイタリアから遠く離れた未開の地ドイツで学術の向上を意図して、あえてドイツ語で、またラテン語でのみ通じる特権的な集団への対抗の意識があって著作に励んだのかも知れません。ルネッサンス期でパラケルススと同時代には、ドイツを代表する画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528)が活躍し、デューラーもドイツ語で著書を著わしています。アウグスブルグ生まれのデューラーの絵は、ドイツ国内、また世界中の美術館で目にすることができ、動物や植物を題材にした写実的な絵が印象的です。
 パラケルススの医学理論は、オカルト的な思想に包まれていて分かりづらいのですが、医学的な実践においては驚くべき奇跡のような治療を行ったといわれています。磁石、磁力の不思議な魔力により、下血や脳溢血などのさまざまな病気に磁石を推奨しているとされています。パラケルススの生涯と思想については大橋がとりまとめているので参考にしていただければと思います。
 ともあれ、磁気治療は磁石を内服するということで古くから行われており、近年になって発見されたことではないようですが、ドイツ・ゲッティンゲン大学教授ベックマン(1739-1811)は自著「西洋事物起源」の中で、磁石を人体外部、磁石から発する不思議な磁力を治療に用いる磁気治療は、近代になって流行しはじめパラケルススによって始まりパラケルススが発明したとして磁気治療の先駆者と述べています。またベックマンが同著「磁気治療」の項目で述べている以下のようなことは、磁石、磁気の効用が取りざたされている昨今の状況を見ると、いまでも当てはまるのではないかと思われます。
 “1798年頃、パ-キンス(Perkins)という男がトラクター(tractor)と呼ばれる金属棒でさまざまな病気を治療する方法を発明した。この棒を身体のさまざまな部分に当てて動かすと、でき物や頭痛等のさまざまな病気を治すと思われていた。この金属棒は特許になった。それから数年たって、ファルコナー(Falconer)博士は、一見してパーキンスの金属棒と見分けのつかない木製のトラクターを作った。これをバス(Bath)の病院で大々的に使用したところが、金属製のものと全く同じ治療効果のあることがわかった。それ以来、トラクターのことはほとんど聞かれなくなり、いまや忘れ去られてしまった。
 ごく最近、イギリスにおいて、公衆を惑わす磁気リングが出現した。これは、手の指や足の指にはめ、さまざまな病気を治したり予防したりするというものである。これはガルバニックリングと呼ばれた。だが、これは正に、磁石を用いた動物磁気説やトラクターを用いた療法の類である。
 金属製トラクターについて語ったことが、磁気リングについてもそのまま当てはまる。磁気リングを作っている2つの金属を接触させると、ごく小さな電流が流れ従って磁気が発生しはするだろう。だが、リングを構成する金属片の組合せ方は、電磁気学の法則に無知であることを露呈するような馬鹿げたやり方であり、このようなことをしてもリングをはめた手足の指に電流が流れる形跡は少しもない。リングが木製であれ何であれ、あるいはリングが全くなくても催眠術つまりガルバニズムという観点からみれば全く同じ効果を生じるのである。”
 1600年、今の大分県臼杵市港外の海岸に漂着したエラスムス号の名前は、中世オランダで高名な人文学者であるエラスムスにちなんでいます。エラスムス(1467?-1536)は、1521年以降スイスのバーゼルに住み、この間医師としてのパラケルススに診断を受けたとの話が伝わっています。パラケルススが亡くなってから約200年後のフランスはフランス革命前で、ドイツ人医師フランツ・アントン・メスメル(1734-1815)による磁気治療(動物磁気)、催眠術によるオカルト的な医療が一時期のヨーロッパを席巻しました。
 参考)
(1)大橋博司:パラケルスス生涯と思想(思索社、1988)
(2)ギルバート、ウイリアム:磁石論(三田博雄訳)「科学の名著(7)ギルバート」
(朝日出版社、1981)
(3)山本義隆:磁力と重力の発見 第2巻(みすず書房、2003)
(4)ベックマン、ヨハン:西洋事物起源(岩波文庫、全4巻)は1780-1805年にわたって書かれており、上記の引用箇所は岩波文庫第1巻、pp.318-323(特許庁内技術史研究会訳)(岩波文庫、1999)

◆第3回:磁気治療、催眠療法

 パラケルススが亡くなってから約200年後、フランス革命前にフランツ・アントン・メスメルが登場し、磁気催眠術(メスメルの動物磁気説)による治療でパリ中を賑わしました。
 フランツ・アントン・メスメル(1734-1815)は、ドイツとスイスにまたがるボーデン湖近くのイツナングで生まれました。最初、両親はメスメルを聖職者にしたかったようでイエズス会の神学校に入学させましたが、1760年以降6年間ウイーンで医学を修め、メスメルは医師の免許を修得しています。学位論文は「惑星の影響」であり、この論文をきっかけとして動物磁気の概念を展開するようになります。天体、地球、生物の相互作用を円滑にする流体が宇宙に満ちているという内容であり、この流体は磁石が持っているのと同じ性質があるとしました。
 メスメルの思想の中にはパラケルススの考え方が反映されています。天体や地球から流体が発せられ、ヒトの体の中に流れ込んでおり、このバランスが壊れた場合に病気になるとしています。このような病気には磁石を当てると、悪い流体が体外に流れ出て回復するというものです。病は、流体の不均衡によって起きると見なし、磁石で人体の磁気をコントロールし、体内の流体の循環の調和をとることで病気が治るとしました。この手法では、医師が強い磁気流体を放射する能力を持ち、患者の体内に注入され、磁気化された催眠状態による治療とされています。
 メスメルの動物磁気による治療の効果の真偽については、空中電気を見つけたフランクリン、化学者ラボアジェ、ギロチンで有名はギヨタン博士などからなる審査委員会が科学的な調査を行った結果、メスメルの概念は想像力で引き起こされるとし、動物磁気としての磁気流体の存在を否定した結果を報告しました。審議委員会メンバーのフランクリンはアメリカのフランス初代大使でした。
 パリに入る前の1768年、メスメルはウイーンで裕福な男爵の未亡人と結婚して、医者として開業しました。同時に、メスメルは音楽に玄人なみの素養があったようで、ハイドン、モーツアルトなど音楽家のパトロンとして注目を集めていきました。当時、モーツアルトは12歳、ハイドンは36歳でした。この時、モーツアルトは皇帝ヨーゼフ2世の依頼で、オペラ「ラ・フィンタ・センプリチェ」(みてくれの馬鹿娘)を作曲しましたが、上演にあたってはさまざまな妨害がありウィーンでは上演できませんでした。その時、落胆したモーツァルトを元気づけたのが、メスメルによるオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」の作曲依頼であったと言われています。メスメルはモーツァルトに作曲を依頼しましたが、実際に上演されたとする証拠はないとも言われています。1789年、モーツァルトはオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の中でメスメルの磁気治療を面白おかしく言及し、メスメルの名前を不滅のものにしました。
 メスメルが治療の失敗やスキャンダルによってウィーンを去りパリに入ったのは、フランス革命勃発の10年ほど前でした。1785年にパリを去り、以降20年間は足跡が不明ですが、スイス市民権を獲得し1815年に死去しています。メスメルは次第に忘れ去られて行きましたが、動物磁気の支持者が動物磁気により治療活動を続け、磁気催眠の心霊療法などに動物磁気が取り込まれ、オカルト思想の一端を担っていくことになっていきます。
 今日、メスメルの治療は暗示による催眠効果と言われています。わが国では、1880年代後半、メスメリズム、すなわち動物磁気が紹介され、1900年(明治33年)以降、催眠術ブームが起こり、東京帝国大学の福来友吉助教授らが催眠の心理的研究を進めました。この時代、有名なのは1910年頃に起こった千里眼事件です。熊本の御船千鶴子が、次いで丸亀の長尾郁子が透視の能力を得たと言い出し、福来はこれが事実であると世間に発表しました。加えて、福来が「念写」を発見したとして世間が騒ぎ始めました。この千里眼事件に関しては、当時の東京帝国大学前総長山川健次郎、地磁気研究の田中館愛橘教授ら一流の科学者が心霊実験の立会人として顔を揃えており、立会人の前で行われた実験から透視は否定され催眠術は減退していきました。
 参考)
(1)稲垣直樹:フランス(心霊科学)考(人文書院、2007)
(2)ペリシェ、イヴ:精神医学の歴史(三好暁光訳)(白水社、1985)

◆第4回:動物電気

 フランクリンが有名な凧の実験(1752)により、雷が電気であることを証明し避雷針を考案してから約40年後、イタリア・ボローニア大学の解剖学者ガルバ-ニ教授は、カエルの神経筋が痙攣(けいれん)することから動物電気(生物電気)を発見したとされています。しかし、既に紀元1世紀には、電気魚のことが知られており、電気魚による電気的治療として、ローマ皇帝クラウディウスの宮廷医者のスクリボニウス・ラルグスがシビレエイを痛風の治療に用いたとされています。旅行記「新大陸赤道地方紀行」に、電気魚は放電によって馬をも倒すと書いているドイツのアレキサンダー・フォン・フンボルトは、動物電気に興味を持ち、その本質を明らかにする実験を繰り返し行い、電池を発明する一歩手前のところまで到達していたのではないかとされています。
 電気魚などで見られる発電現象が生命を営んでいくのに必要な電気現象であるとして学術研究で取り上げられるようになったのは、先に述べたガルバーニ教授(Luigi Galvani、1737-1798)がカエルを用いた実験を行ってからであると言えます。カエルを使い多くの実験を行ったガルバーニは、1737年にボローニアで生まれ、ボローニア大学のガレアッチ教授に解剖学を学び、同大学に勤め、ガレアッチの娘と結婚しました。時代は、ライデン瓶など電気を発生する装置が作られ、電気ショックを治療に用いる研究が進められるようになった時であり、ガルバーニは筋の収縮に関する研究を進めました。当時はヨーロッパを席巻しようとしていたナポレオン(1769-1821)が1796年に北イタリアを占領した頃です。ガルバーニはナポレオンに忠誠を示す宣誓を拒否したために、1798年4月にボローニア大学の職を解かれ、追放され、数ヵ月後失意のうちに亡くなりました。
 ボローニア大学で教授として在職中の1786年以降、妻のルチアを助手にしてガルバーニは起電器で起こした電気でカエルの脚を刺激する実験を行いました。起電器によって電気を発生させ、その影響を見る以外にも、空中電気の影響をみるためにカエルの神経筋標本の一端を銅線で抑え、鉄の格子にぶら下げておくと風で筋が鉄の格子に触れると筋が収縮する現象を観察しました。ガルバーニは、この現象を空中電気がなくても筋の収縮が見られるとし、筋肉には電気があり筋と格子が触れるたびに電気回路が出来上がり筋の電気が回路を伝わって流れその電流で収縮が起きるとしました。1791年、これらの結果をガルバーニはボローニア大学紀要に「筋肉の動きによる電気の力」と題するラテン語の論文で発表しました。その中で、ガルバーニはカエルの筋を用いた実験結果から観察した現象を次のように解説しています。「筋はライデン瓶のように電気を蓄え、金属で回路を作ると放電し、この放電によって筋肉が刺激され収縮する。」
 今日、電気刺激で刺激興奮するのは神経細胞(ニューロン)であることがわかっています。神経細胞は長い軸索を持ち、ここを電気信号が伝わり、イカのような軸索が広くて大きな神経ではそこに微小な電極を差し込むことで、神経の膜を通して内側と外側とで静止電位、電位差の発生を確認することができます。この神経の興奮や抑制などの電気的活動、活動電位の発生には、Na+、K+などのイオンチャネルの開閉が関与していることは、イギリスの生理学者ホジキン、ハックスレー両教授によって明らかにされています。両教授は、オーストラリアのエックルズ教授と一緒に1963年にノーベル生理学・医学賞を授与されています。
 1791年は、ガルバーニが発表した報告により、「動物電気」、「金属電気」の議論が切って落とされた年であります。ボローニア大学紀要を読んだ物理学者ボルタ(Alessandro G.A.Volta, 1745-1827)は、動物電気に興味を持ってガルバーニの実験を繰り返し、その結果を1794年の英国王立学会誌に発表しました。そこでは、電気を発生するのは筋肉ではなく金属そのもので筋肉の収縮は電気による神経の興奮であるとしてガルバーニの発見を否定したのでした。ボルタは、1794年度の英国王立協会のコプレー賞を授与されています。
 ガルバーニの甥であるアルディーニ(Giovanni Aldini:1762-1834)は、叔父の実験を手伝い、切り離したカエルの脚に電流を流し反応を見る実験を繰り返し行いました。アルディーニは1794年にボローニア大学の自然哲学の教授になり、その後、1798年にガルバーニが死んだ後、ヨーロッパを旅してガルバーニの動物電気を見世物として行うようになっていました。ヒトの死体に電気ショックを与え、蘇生させることを見せるような過激な見世物であったとされています。
 アルディーニはロンドンでもデモンストレーションを行っており、イギリス・ロマン派の詩人パーシー・シェリーもアルディーニの実験に興味を持ったのではないかと思われます。会話の中にアルディーニの動物電気の話題があったであろう夫人のメアリー・シェリーが、若干二十歳の1818年に最初のSF 小説といわれている有名な「フランケンシュタイン」を発表しています。序文に「おそらく屍(しかばね)をよみがえらせることはできるだろう。ガルバーニ電流がその証拠を示している」とガルバーニの動物電気が創作のインスピレーションになったことが述べられています 。
 ガルバーニの発見を否定する発表をした1794年以降、ボルタはさらに色々な金属の組み合わせによる電位差を調べ、最終的に2つの異なった金属を液体につけるか金属の間に湿った布を挟むことで電気が生じることを示しました。最初、ボルタは亜鉛と銀の板を重ね、その間に食塩水を浸した布で電池を構成させました。これを幾重に重ねることにより、パイル(Volta’s pile:電堆(でんたい))を作り電気を取り出すことを発見したとされています。今日ではこれは接触電位と呼ばれています。試行錯誤の上、ボルタは「異種の導電性物質の接触によって発生する電気について」と題する画期的な論文として取りまとめ、この報告は1800年に英国王立協会の年報に掲載されました。報告の内容は、パイルによって安定的に電気を取り出すことができるボルタ電池の発明は、その後の電気の学術進歩に大きく寄与し今日の電池の発展の基礎となっています。
 ガルバーニとボルタが論争をしていた時代はフランス革命の直後であり、ナポレオンが天下を取っていった混乱の時でした。その流れはイタリアにも及び、ガルバーニとボルタ、共に時代の大きなうねりの中に巻き込まれていったのでした。
 ボルタは、北イタリアのミラノ近く、アルプスの麓のコモで1745年に名門の家系に生まれ、33才でパピア大学の物理学教授に招かれています。ボルタは若い時から、雷などの電気現象に興味を持ち電気盆を発明しています。49才で結婚したボルタは、1794年以降多くの実験の結果を次々と発表して行きました。1781-1784年にかけて、ボルタはイタリアからイギリス、フランス、ドイツなどへ旅立ち、ラボアジェ、フランクリン、リヒテンベルグなど当代の著名な科学者と会っています。また、ボルタは、ナポレオンに忠誠をつくして気に入られ、レジョン・ドノ-ル勲章が授与されています。1803年、彼はナポレオンにパビア大学の教授の職を退くことをナポレオンに願い出ましたが、ナポレオンは、この願いを拒否する一方で、ボルタへの年金を増額しています。その後、1819年には大学を去ってコモに戻り、1827年に82才で亡くなっています。
 1790年代以降、ガルバーニによる動物電気、ボルタによる金属電気の論争がなされました。この動物電気と金属電気の論争はそれぞれ科学的な真理を掴んでいたことから、その後の学術の発展に大きく寄与しました。ガルバーニの動物電気の実験からは電気生理学が基礎科学の一分野となっていき、ボルタの金属電気の実験は、電池の発見、ひいては現在の電磁気学の発展に寄与することになっていきました。ちなみに、福沢諭吉の有名な福翁自伝を見ると、「ガルヴァニの鍍金法というものも実際に使われていた。(原文)」と、ガルバーニが電気の代名詞のような言葉で書かれています。また手元にある英和辞典を見ると、「Galvanism」、「Galvanize」、「Galvanometer」、「Galvanotropism」など多くの専門用語がガルバーニの名にちなんでいることが分かります。また、ボルタは、電圧の単位名、ボルト(Volt:V)に名を残しており彼の業績が燦然(さんぜん)と輝いています。
 参考)
(1)Michael Brian Scheffer: Draw the lightning down (University of California Press, 2003)
(2)Joseph F. Keithley: The story of electrical and magnetic measurements- from 500 BC to the 1940s (IEEE Press, 1999)
(3)シェリー、メアリー:フランケンシュタイン(森下弓子訳)(創元推理文庫、1984)
(4)福沢諭吉:福翁自伝(岩波書店、ワイド版岩波文庫、1991)

◆第5回:タイタニック号とアレニウス

 豪華客船タイタニック号が乗客・乗員約2,200名を乗せてイギリス・サザンプトン港を出航し、アメリカのニューヨークに向けて処女航海に出たのは1912年4月10日のことでした。出航後、流氷原があるとの警告を受けていたはずなのに、4月15日早朝アメリカ・マサチュセッツ州ボストンの東1,610km、ニューファンドランド、セントジューンズ沖約600kmで不沈の豪華客船と呼ばれたタイタニック号が氷山に衝突して沈没したとされています。死者は1,517名とも言われ歴史上有名な海難事故でした。
 タイタニック号が氷山に衝突して沈没した翌日、1912年4月16日のニューヨーク・トリビューン紙には、タイタニック号の沈没を伝える記事が新聞紙面を飾っていたのではないかと連想されますが、手元に同日付けの紙面の一部を飾った記事を切り抜いたコピーがあります。大学時代の恩師が、米国出張中に宿泊したホテルで偶然目に留めた記事で、恩師の手書きで「New York Tribune Apr. 16th. 1912年“タイタニックが沈没した翌日の新聞記事”」とのメモがコピーに添え書きされています。これは、タイトル“Electricity aids children”、サブタイトルとして“Experiments prove it promotes bodily growth and intelligence”なるパリ発の記事をコピーしたものです。記事の内容は、スウェーデンの科学者アレニウス教授が、人間の成長に対する電気の効果を調べた結果を述べたものと思われます。記事は短いので全文を翻訳すると次のようになります。
 パリ、4月5日発 -スウェーデンの科学者、アレニウス教授が、ストックホルムで人間の体の成長に及ぼす電気の影響に関して興味ある実験を行った。
 Matinによれば、年齢、健康、体重、身長、知性ともに同じような50人の2組の子供のグループがスウェーデンの公共の学校から選ばれた。一つのグループは電気設備が備えられており、壁、床、天井から高い電流をワイアから空気中に放射している部屋で勉強した。もうひとつのグループは、普通の教室で勉強した。実験に選ばれた子供も先生も、実験が行われていることは知らなかった。6ヶ月後、電流が空気中に流れている環境で過ごした子供は、もう一つのグループより平均として3/4 インチ背が伸びた。また知性も著しく発達し、競争試験では決定的な差をつけた。電流が流されている環境で過ごした先生は、疲労に対する抵抗力が増したと断言した。
 記事に書かれた実験を行ったと考えられるアレニウス教授(Svante August Arrhenius:1859-1927)は、物理化学の分野で著名なスウェーデンの化学者であり、電解質溶液の理論に関する研究で1903年にノーベル化学賞を授与されています。
 スウェーデンからの記事が掲載されているすぐ下には、手元のコピーからは全文を読み取ることができませんが、ロンドンからの4月6日発記事「シベリア横断旅行」鉄道報告書として日本・中国へ、また日本・中国からシベリア横断鉄道を利用する旅行者が著しく増加していることを書いてある記事にも興味がそそられます。1912年は、明治天皇が逝去し、石川啄木が26歳で死んだ年です。
 ともあれ、1912年において電気刺激を与え、子供の成長、知性が高まる実験が行われていたこと、それを行った研究者が、ノ-ベル化学賞を授与されたスウェーデンのアレニウス教授であることには驚かされます。
 電気で刺激を加えて、電気の有効、プラスの効果を観察しようとする考えの背景にあるのはなんでしょうか。古く、空中電気が発見され、18世紀には雷が電気と同じであることの証明がフランクリン等によってなされました。フランクリンに論争を挑んだフランスのノレ師は1745年以降、動物や植物に対する電気の作用を調べる実験も行っています。19世紀後半から20世紀前半にかけては、フィンランドのレムストレーム教授(Selim Lemstrom)らが、空中電気の研究を進め空中の電気現象がヒトや植物・動物に作用を及ぼすのではないかとの研究を始めている時代、空中電気の植物の成長・収穫を促進させるのかどうかなど、電気の有効的な効果を見るための一連の実験が行われるようになってきた時です。レムストレーム教授らの実験は、空中に架空線を張って片方を接地させ、架空線と大地との間に電界を発生させ、その中で植物を栽培して実験を行っています。このような実験から、レムストレーム教授は、空気中の窒素・酸素によりオゾン、硝酸塩の生成をもたらす放電の効果を植物生育促進の要因として考えています。最初、フィンランド語で発表されたレムストレーム教授の著書が英語で翻訳出版されたのは1904年のことです。
 このような時代を考えると、また、人生の後半、空中電気の研究に携わっているアレニウス教授にとっては、自然現象である雷、直流電気現象の作用を調べようとして電気を加えることが人間の成長に良い効果をもたらす可能性があるような実験を行ったのにも納得できます。アレニウス教授は、電解質溶液の理論研究以外に、気象電気、溶液の粘性、反応速度論についての研究に従事し、後年は、大気中の二酸化炭素濃度変化などに興味を持ち、現在の地球環境問題の先駆者とみなされています。
 参考)
(1)Lemstrom, Selim: Electricity in Agriculture and Horticulture BiblioBazaar, (1904)

◆第6回:空中電気

 幻想や怪奇を主題としたゴシックロマンスとして名高いイギリス、ホーレス・ウォルポール(Horace Walpole:1717-1797)の「オトラント城綺譚」(1763)の最後、“「なに、娘は絶命?」とかれは狂乱の体で叫んだ。その刹那、轟然たる落雷の音が、オトラントの城を礎まで揺るがした。”と、オトラントの城が雷とともに解体し、城主に天罰が落ち、その後、城の主は城主の権利放棄に署名をして修道院で受戒を受けたと書かれています。落雷は神の怒りの象徴と見なされて。
 イギリス女性シェリー夫人(Mary Shelly:1797-1851)は、若干21 歳の時に、稲妻が炸裂して死体を電気で蘇生させて人造人間を作る有名なSF小説「フランケンシュタイン」(1818)を創作しています。この場合には、雷を生命の根源と見なして。実際の小説では、創られた人造人間には名前がないのですが、なぜか人造人間を創造した天才科学者フランケンシュタインが、あたかも人造人間であるかのごとく多くの読者を惹きつけています。
 フランスの偉大なる作家ヴィクトル・ユゴー(Victor Marie Hugo:1802-1885)の数ある小説の中で、特にわが国の多くの読者を惹きつけてやまない有名な小説に「レ・ミゼラブル」(1862)があります。古くは「ああ無情」と訳され、このタイトルを目にし、耳にすると、主人公のジャン・ヴァルジャン、彼を追い掛け付け狙う探偵ジャヴェル、孤児コゼット、恋人のマリユスなどの名前がすぐに浮かんでくる方がいらっしゃるのではないでしょうか。さて、ユーゴーが21歳の時に初めて上程した小説に「氷島奇談」(原題「アイルランドのハン」)(1823)があり、雷、落雷、稲光が効果的に使われています。主人公オルデネルが案内人のスピアグドリと一緒の旅の途中で激しい雨に見舞われ、死刑執行人とジピシーの妻が住む朽ちた塔で雨宿りを求め、山賊が住んでいる洞窟へ主人公が導かれる場面などで不気味さや恐怖をもたらすものとして。
 大気中の目に見えない二酸化窒素、酸素などの気体分子や水滴・塵埃などは、雷放電・紫外線・放射線などによって電離し、電荷をもった空気イオンとして存在しています。自然の大気中では、これら多くの帯電した物質からなる空中電気があり、それらが雷雲として様々な電気現象、雷、落雷、稲光などとして目にすることとなります。アメリカ・フィラデルフィアのベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706-1790)は、雷雲に向かってたこを揚げ、たこの糸から伝わってくる雷放電による電気をライデン瓶に蓄え、この電気が起電機で生じた電気と同じ効果を生じることを発見しました。すなわち、空中電気と摩擦による電気、摩擦電気は同じであることを証明しました。
 フランクリンは、それまでに発見されている雷鳴や稲光など様々な電気現象を明らかにするために、電気の本質に迫る電気の一流体説を唱えました。これは電気流体が平常よりも多ければ「正(プラス)」に、少なければ「負(マイナス)」に帯電するという説で、流体が物体の内外で平衡を保った場合には物体が無電気であるとするものです。これは、たこを雷雲中にあげた実験を基にして推測したとされています。またフランクリンは、稲妻と電気火花とが一致するには次のような根拠と証拠を示しています。
 1) 光と音の類似、現象の瞬間性がある。
 2) 電気火花も稲妻もともに物体を燃焼させる。
 3) 両者は生物を殺す力がある。
 4) 両者は機械的破壊を起こし、硫黄が燃えたときのような臭気を発する(この臭気は、のちにオゾンと呼ばれるようになりました)。
 5) 稲妻と電気は同一の導体を伝わる。
 6) 両者は磁気をかく乱し、磁石の極さえも逆さにすることができる。
 7) 電気火花によっても、稲妻によっても金属を融解することができる。雷と摩擦電気の電気現象が同じであることについて、フランクリンが電気の一流体説を唱える前、フランスの科学者は電気の二流体説によって電気の成因を説明できると主張していました。その代表たる研究者が修道院の院長ジーン・アントン・ノレ師(Jean Antoine Nollet:1700-1770)です。しかし、実際には、ノレ師に先立って、フランスの科学者デュフェイ(Charles Francois de Cisternai du Fay:1698-1739)が、電気には樹脂電気、ガラス電気の2種類があると考えていました。異種は引き合い、同種の電気は反発するとし、電気を液体のようなものとすると電気現象を説明できるとする説です。ヨーロッパ中に名前が響き渡っていた高名な科学者であるノレ師は、このような説を基にして独自に電気に関する研究を進めていきました。ノレ師は、ベルサイユ宮殿でルイ15世の前で、ライデン瓶で貯めた電気を180名ほどの兵士に通した放電実験を行い、放電による強烈なショックで兵士が高く飛び上がり観客がびっくりするような実験を行っています。ライデン瓶の名づけ親もノレ師と言われています。ノレ師は1745年頃から、電気を加えると植物の蒸散が盛んになるなどの実験結果も報告しています。このころのわが国では、平賀源内が活躍しエレキテルを作ったとされる時代です。
 ノレ師は、たこを使った実験で有名なフランクリンを向こうにまわして電気の問題、空中電気の成因についてさまざまな立ち回りを演じましたが、最終的にはフランクリンが勝利しています。当時のヨーロッパでは、ノレ師らが唱えた電気の二流体説が一般的に受け入れられていましたが、ヨーロッパから遠く離れた科学の発達していない植民地であるアメリカで、ノレ師は自分達の学説に反対する研究が発表されたことが信じられず、フランクリンが唱えた説に疑問を抱き始めました。
 ノレ師は次第に過激になっていき、電気の成因に一流体説を唱えたフランクリンの仮説、また実験が間違っているとフランクリンに手紙を何度も送りつけて反論を加えていきました。しかし、フランクリンは自伝の中で、「私も、一度はノレ師に答えようと考え、事実、返事を書き始めさえしたのだったが、考えて見れば、私の本には実験の記録がのっているのだから、誰でも実験を繰り返して確かめて見ることができるし、それができないようなら私の説は守ることができないことになる。観測の結果の種々の説にしても、仮説として提出したのであって何も独断的に述べたわけではないから、いちいち弁解する義務はない。(略)論文の運命はそのまま自然の成り行きにまかせることにし、私はノレ師に一度も回答しなかった。」と述べています。フランクリンの自伝は、世界中で読み継がれ、日本でも広く読まれており、わが国では、福沢諭吉の「福翁自伝」に匹敵するほど、文学史上優れた自伝だと言われています。その後、フランクリンが唱えた一流体説は、ノレ師らが唱えた二流体説にとって代わって次第に受け入れられていきました。1753年、フランクリンはイギリスの王立協会からコプレー賞を授与されています。
 今日、電気流体と言われているものの実体は電子であることはよく知られています。例えば、プラスチックで布などを擦って電気を帯びさせる現象は、多くの電子が移動する現象であり、2つの物質間に電流が流れる場合には電子が流れることを意味しています。この場合、物質の性質を導き出す原子構造が分かっていない昔から、電気の正(プラス)・負(マイナス)については、フランクリンの一流体説による定義を尊重して、またアンペールの論文から得られた結果から、電流の流れる方向を慣習的に正から負の方向に流れるとしてきていました。さて、イギリスのジェ・ジェ・トムソン(J.J.Thomson: 1856-1940)が、物質の性質を決める原子構造は、中心に正の電荷を持った原子核が存在し、その周りを負の電荷を持った電子が運動していることを見出しました。この性質のため、電流を電子の流れとすると、負の電荷を持った電子が動く方向は昔から経験的に定めている電流の流れる方向とは反対方向になることになります。
 ノレ師が活躍した1700年代はベルサイユ宮殿が完成(1710)し、ハプスブルグ家、オーストリアの女公マリア・テレジアが63歳で死ぬまで覇権を握り(1740-1780)、1789年のフランス革命時にドイツのエルランゲンに生まれたのが「オームの法則」で有名なオームです。それに先立つこと、イギリスでは、デフォーが「ロビンソン・クルーソー」を1719年に書いています。また、スウイフトによる「ガリバー旅行記」は1726年に書かれています。アメリカでは、先に述べたようにフランクリンが稲妻と電気の同一性を見出し、避雷針を発明したのが1752年で、ボストン茶会事件(1773)、その後独立宣言の採択が1776年で、フランクリンは独立宣言の起草委員に選ばれています。1783年には、イギリスとアメリカ合衆国の間に平和条約が締結され、合衆国の独立が承認されています。その後、フランス革命が起こった1789年には、合衆国初代大統領にワシントンが選ばれています。なお、フランクリンは初代のフランス大使を勤めています。
 1700年代のわが国の歴史を見てみると、赤穂浪士の討ち入りが1702年(元禄15年)、江戸幕府の大奥を舞台にした有名な絵島生島事件が1714年(正徳4年)に起き、杉田玄白(1733-1817)らによる解体新書が1774年(安永3年)に出版され、平賀源内(1728-1779)によるエレキテルの完成が1776年(安永5年)です。このように1700年代には、わが国でも歴史の教科書に載るような歴史上興味ある事件が次々と起きています。
 さて、わが国の電気学の歴史を見てみると、平賀源内が製作したとされるエレキテルが有名ですが、江戸時代、たこを揚げたフランクリンと同じような実験を行った人物が大阪にいました。橋本宗吉(1763-1836:宝暦13年‐天保7年)がその人です。広辞苑では、「蘭学者、我国電気学の祖。号は曇斎。大阪の人。江戸の大槻玄沢に学び、帰って学塾を開いた。文政12年(1829)、耶蘇教徒の嫌疑を受けて処罰。」と紹介されています。宗吉は、徳島、阿波の国で生まれた父と共に大阪に出ていますが、宗吉自身が、阿波生まれか大阪で生まれたかは定かではないようです。江戸においてはわずか4ヶ月でオランダ語を習得したといわれており、杉田玄白の孫弟子にあたります。
 1809年以降、47才頃から宗吉は、エレキテルの研究を志し、いろいろな実験を行っています。特に有名なのは「泉州熊取にて天の火を取たる図説」として記録に残っている松ノ木を利用した雷の実験です。この実験は、1811年に著した「阿蘭陀始制エレキテル究理原」の中に他の多くの実験とともに述べられており、フランクリンの実験から僅かに60年遅れているだけです。図(図は省略)には、松ノ木に針金を垂らし、絶縁台にのった人が針金の下端を左手に握り、右手からもう一人の人に火花を飛ばしている様子が記載されています。この実験を準備したのは宗吉であって、実際の実験は宗吉の知り合いの仲間が行ったのではないかとも伝えられています。写真(写真は省略)は、宗吉が松ノ木を利用して実験を行ったとされる大阪府下熊取町に現存する荘官中家屋敷と電気実験を行ったとされる記念の石碑です。電気実験を行ったとされる中屋屋敷は、阪和線熊取駅から徒歩15分ほどの所にあり、現在は重要文化財として保存されています。見学に伺った時の案内の方によると、中屋屋敷は江戸初期の建物で、電気実験に用いたとされる樹齢600年、周囲5mもあった松ノ木は伐採しまったとのことです。
 参考)
(1)ウォルポール、ホーレス:オトラント城綺譚(平井呈一訳)(牧神社、1977)
(2)シェリー、メアリー:フランケンシュタイン(森下弓子訳)(創元推理文庫、1984)
(3)ユーゴー、ヴィクトル:氷島奇談(島田尚一訳)(世界の文学7、中央公論社、1964)
(4)ダンネマン、フリードリッヒ:新訳大自然科学史6(安田徳太郎訳・編)(三省堂、1978)
(5)フランクリン、ベンジャミン:フランクリン自伝(松本慎一・西川正見訳)(岩波文庫、2007)
(6)金子務:ジパング江戸科学史散歩(河出書房新社、2002)
(7)広辞苑第1版(岩波書店、1961)

◆第7回:ライデン瓶

 たこの実験で雷と摩擦電気の電気現象が同じであることを明らかにしたフランクリンは、ライデン瓶に関する実験も行っています。
 岩波の理化学辞典によると、ライデン瓶は「ガラス瓶の底および側面の内外両面に錫箔を貼ったコンデンサー。蓋の中央を通して入れた金属棒の先端に鎖をつなぎ、底の内部の錫箔に接触させてある。ガラスには絶縁をよくするために多くはシェラックなどを塗っておく。ライデン大学のミュツセンブルークが1746年にはじめてこれを用いて放電実験をしたが、同じころ、1745年ドイツのフォン・クライスト(von Kleist, E.G)もこの装置を考案した。」とあります。ミュツセンブルーク(Musschenbroek:1692-1761)は、ライデン大学の教授、フォン・クライスト(1700-1748)はプロイセン生まれで、ライデン大学で教育を受けています。ライデン大学に席を置き教育を受けた二人ですが、それぞれ独自に、また偶然にライデン瓶を考案したとされています。前回で述べたフランスの修道院の院長ジーン・アントン・ノレ師は、ライデン瓶を使った実験を数多く行い、ライデン瓶の名前の由来はノレ師によるとも言われています。
 フランクリンは、40歳の時、ボストンでスコットランドから来ていたスペンス博士の静電気を使った実験を見て、その実験に興味をもってフィラデルフィアに戻ってから電気の実験を始めました。その経過をフランクリンは、自伝の中に次のように書いています。「フュラデルフィアに戻るとまもなく、ロンドンのイギリス学士院の会員ピーター・コリンソンから組合図書館にあてて、この種の実験(注:電気の実験)に使う時の心得帳を添えてガラス管(注:ライデン瓶)を一本寄贈してきた。私はこれ幸いとばかりにすぐさまボストンで見た実験を繰返し、また大いに練習した結果、イギリスから説明書のきた実験がとてもうまくやれるようになっただけでなく新しい実験もいくつかできるようになった。(中略)私たちはコリンソン氏の厚意でガラス管その他を送られたのであるから、その使用に成功したことは彼に報告すべきであると考え、私は数通の手紙を書いて、私たちの実験の結果を説明した。」このように送った手紙の中に、稲妻と電気火花は同じ性質を持つのではないかとする実験、またその説明に電気の一流体説をとっている内容などが含まれています。フランクリンは、1747年から1755年にかけて行った電気についての実験の多くの結果をコリンソンに送り続けました。コリンソンらによってそれらの手紙はまとめられ、論文集となり、イギリスで出版されました。その後、論文集で提案した実験、雲の中から稲妻を導き出す実験などがフランスで成功して、科学者としてのフランクリンの名前がヨーロッパで次第に有名になっていき、1756年にはイギリスの王立協会の会員になっています。
 わが国では、関が原の戦いに勝って覇権を握った徳川幕府が、その後300年近くにわたる鎖国政策を取っていきました。しかし、鎖国する以前から、ポルトガルなど南蛮の国との交易を通して、西洋の学術がわが国に輸入されてきていたのも事実であり、有名な出来事として種子島に鉄砲がもたらされたのは鎖国前の1543年です。しかし、鎖国後、西洋の学術は、細々と長崎の出島での交易を通して入ってきていたと考えられます。
 我々日本人には、江戸時代で電気を扱った歴史上で有名な人物はと聞いてすぐに浮かんでくるのが平賀源内です。しかし、電気学の祖としての源内の名前よりも、むしろ、土用の丑の日にウナギを食べることを仕掛けた人物として多くの人に知られています。そのため、源内がどのような人物であったかは意外と知られていないのではないでしょうか。広辞苑を開いてみると「平賀源内(1728-1779:享保13年-安永8年)は「江戸中期の本草学者・科学者・偽作者。鳩渓・福内鬼外・風来山人・森羅万象などの号がある。讃岐の人。国学・蘭学・物産学・本草学を研究。初めてエレキテル(摩擦起電機)を発明して治療に応用。後、戯作に没頭。浄瑠璃「神霊矢口渡」、滑稽本「風流志道軒伝」は有名。安永8年狂気して門弟を殺し、獄中に没。」とあります。
 源内は、高松藩、讃岐の国志度の片田舎で生まれています。源内が生きていた頃は、第8代将軍・吉宗が享保の改革を進め、吉宗は鎖国政策をとりながら洋書の輸入の解禁を行い、第9代将軍家重のお側用人となった田沼意次(1719-1788:享保4年-天明8年)が、次第に幕府の実権を握っていった時代です。田沼意次は源内のパトロンであったとも言われています。また、源内が生きていた時代は、ボルタとガルバーニによる動物電気、金属電気の議論がイタリアで引き起こされる時とほぼ同時代です。
 電気に関する知識は、長崎の出島を通して細々とわが国にもたらされたと考えられ、源内が、オランダ製の摩擦起電機(後のエレキテル)と出会ったのは、長崎に出かけた1770年から1771年頃のことと言われています。それ以前、36歳の源内は、秩父で石綿を発見し、火浣布(アスベスト)を作ったとされています。源内は、長崎から持って帰ってきた壊れたエレキテルに工夫を加えて、約7年の歳月をかけて1776年にエレキテルを修復し完成させています。歴史上では、電気を発生させる機械を最初に作ったのはドイツのゲーリック(Otto von Guericke:1602-1686)で、1663年頃のことと言われています。その後、1775年にボルタが電気盆を発明してから、次第に摩擦起電機は廃れていきました。源内はこのような時代に生きていたのです。
 現在、源内が作ったエレキテルは、香川県さぬき市志度の平賀源内記念館、郵政公社の郵政資料館の2箇所で見ることができます。源内は、このエレキテルを用いて、火花の実験や医師に電気治療を進めたりしたとされていますが、1779年、源内は獄中で死亡しており、その死因については、破傷風と絶食死の2通りの説が取りざたされています。
 さて、松ノ木を使って雷の実験を行った宗吉は、ライデン瓶を使って多くの実験をして世間を賑わしたようです。記録に残っている一つに、「襖障子ごしに百人嚇を試る図」があります。ここでは大勢の人に電気ショックを与えて、電気の不思議を楽しんでいる様子が見えます。これを見ると多くの人が順々に手をつないでいき、一人がふすまの引き手の一端に手をおき、手をつなぎ終わったもう一人がもう一方の引き手にさわると全員にしびれ、ショックを受ける様子が手に取るように見えます。図(図は省略)では、30 人ほどが手をつないで、右側の二人が襖の金属の部分に手を触れています。
 図(図は省略)の右で見えているエレキテルの電極が襖の金属の部分につながっていて、襖の陰に隠れてエレキテルを操作している人が電気を流すと多くの人が電気のショック、感電でびっくりする様子を示しています。宗吉は、天保7年(1836)に74歳で亡くなっていますが、翌年の1837年にはアメリカからモールス信号を用いた電信がモールス(Samuel Finley Breese Morse:1791-1872)により発明されています。
 佐久間象山(1811-1864:文化8年-元治元年)も、電気学について独自に先駆的な数多くの試みを行っています。吉田松陰の師として、また勝海舟(1823-1899:文政6年-明治32年)の妹を妻とした佐久間象山は、長野、信州松代藩の下級武士として生まれ、江戸で朱子学・漢学・蘭学ならびに洋学を学んでいます。1844年(弘化元年)に、象山は藩主真田幸貫にオランダ語の「ショメール百科事典」16冊を金40両で購入させ、この事典を参考にして様々な科学実験を行っていきました。特に電気に関する実験では、ダニエル電池で感応コイルを作り、高圧の弱電流を発生させ、人体に電流を流す電気的な治療機を作っています。また、象山はわが国で始めて電信機を作った人物とされています。政治的には、鎖国政策を憂いた象山は、吉田松蔭(1830-1859:文政13年-安政6年)に向かって、国禁を犯して海外渡航をすべきとけしかけています。しかし、松蔭の渡航計画は失敗し、松蔭は萩に、象山は江戸伝馬町の牢獄に入れられました。その後、郷里の松代で、藩主により1854年から1862年まで蟄居を命じられています。1864年、蟄居を解かれた象山は、一橋慶喜に招かれて京に上った同年7月に尊皇攘夷派の凶刃に倒れています。
 源内が獄死した安永8年は、第10代徳川家治が江戸幕府の将軍でした。宗吉が死んだ天保7年時、西暦1836年の江戸幕府将軍は第11代徳川家斉であり、天保3年から8年にかけて天保の大飢饉があり、天保年間は、徳川が江戸に幕府を敷いて200年ほどが経過し、幕藩体制のひずみが顕在化していった時でした。大塩平八郎の乱が大阪で起き、天保10年には言論弾圧事件として有名な蛮社の獄が起き、渡辺崋山、高野長英が追われていました。
 象山は妻の順(のちに瑞枝)がコレラに罹った時に、電気治療機を用いて治療を行った話が伝わっています。また、勝海舟の「氷川清話」を見ると、義兄弟であった象山のことを「佐久間象山は、物識り(ものしり)だったヨ。学問も博(ひろ)し、見識も多少持って居たよ。しかし、どうも法螺(ほら)吹きで困るよ。あんな男を実際の局に当らしたらどうだろうか・・・・。何とも保証は出来ないノー。あれは、あれだけの男で、ずいぶん軽はずみの、ちょこちょこした男だった。が、時勢に駆られたからでもあろう。」と印象を述べています。
 さて、久生十蘭の数多い小説の中に「平賀源内捕物帳」があります。タイトルから分かるように、源内が主役の探偵役となって、御用聞きの伝兵衛とともに難事件を解決していきます。捕物帳で、源内は、神田白壁町の裏長屋に住んでいる一風変わった本草、究理(科学)の大博士。日本で最初の電気機械、「発電箱」を模作するかと思うと、回転蚊取器なんというとぼけたものも発明する、などと紹介されています。究理に基づいた推理で難なく難事件の解決、一度読まれてみてはいかがでしょうか。
 以上、わが国の電気学の歴史に名を残している3人を見ると、源内の最後は、牢獄死。宗吉は、耶蘇教の嫌疑での死亡。象山は、長年の蟄居後の蟄居を解かれた直後、京都での尊皇攘夷派による凶刀による客死。源内が死んだ時、宗吉は16歳。象山はまだ生まれておらず、宗吉が死亡したのは象山25歳の時でした。3人の間にはどのような交流があったのでしょうか。
 象山は、海舟の印象をもとにイメージを膨らませると、陣羽織を着てロシュナンテに乗り、鎧を着て兜を被ったサンチョパンサのような下級武士を供に引き連れたドンキホーテでしょうか。今では神として祀られています。土用の丑の日にウナギを食べることを仕掛けた源内は、落語ならば、八さん熊さんを供に引き連れ横丁長屋で勝手気ままな生活をおくっているが、長屋の住人には一目置かれている存在。宗吉からは、武家屋敷の上座に正座し、弟子を相手に昼間から清く正しく学問に勤しんでいる姿が想像されるのは私だけでしょうか。
 象山が死んだ1864年は、池田屋事件、禁門の変、四国連合艦隊下関砲撃事件などが起きた年で、日本の歴史が大きく動いていった時です。この時代、天皇は孝明天皇、江戸幕府将軍は第14代徳川家茂で、正室は悲劇の和宮親子内親王でした。その後、1868年(慶応4年:明治元年)には、勝海舟と西郷隆盛との間で江戸城無血開城が取りまとめられ、明治新政府が体制を整えていった激動の時でした。一昨年、平成20年のNHKの大河歴史ドラマでは、幕末を舞台にして女性達の姿に焦点を当て、女性の目から幕末の動乱を鳥瞰した「篤姫」が放映されました。篤姫は、第13代将軍の徳川家定の正室。「篤姫」は、NHK の歴史大河ドラマとして、久しぶりに視聴率が良かったということで評判でした。
 電磁界情報センターに程近い、JR山手線田町駅三田口近く、三菱自動車本社前横に、勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城をめぐって会談を設けた薩摩屋敷跡を示す丸い形の記念の石碑が建っています。幕末に活躍した海舟は、77歳の喜寿を迎え1899年(明治32年)まで生きました。当時では長寿と言えます。
 参考)
(1)理化学辞典第5 版(岩波書店、1998)
(2)フランクリン:フランクリン自伝(松本慎一・西川正見訳)(岩波文庫、2007)
(3)フランクリン:フランクリンの手紙(蕗澤忠枝編訳)(岩波文庫、2003)
(4)金子務:ジパング江戸科学史散歩(河出書房新社、2002)
(5)広辞苑第1版(岩波書店、1961)
(6)長野市編:佐久間象山の世界(2004)
(7)勝海舟:氷川清話(勝海舟全集21)(講談社、昭和48年)
(8)久生十蘭:平賀源内捕物帳(久生十蘭コレクション)(朝日新聞社、1996)

◆第8回:植物への電気刺激

 平成10年、西暦の1998年10月に打ち上げられたスペースシャトルのディスカバリ-号で、世界で初めて微小重力の宇宙空間でシロイヌナズナ、マメ、トウモロコシなどの植物の根に電界をかけたときの成長を明らかにする実験が日本の宇宙飛行士によって行われました。このスペースシャトルで行った実験で得られた結果は、宇宙のような微小重力環境中では、植物の根が伸びる伸長率が50%、電界に対する感受性が3倍以上に増大したというものです。この結果から、地上では重力に相関して根の内外に電界(定常的な膜電位)が形成されますが、宇宙空間では根の先端に近い若い細胞群(初期伸張域、DEZ:Distal Elongation Zone)の伸張が抑制され、微小重力の宇宙では、電界に依存するこの系の活性がなくなったためDEZの伸張抑制が解除されると共に、電界への感受性が異常に高くなったと推測されました。
 平成21年10月26日、高電圧の電気刺激効果によりキノコが増えるという記事がA新聞夕刊に掲載され、高電圧によりキノコの増収効果の可能性が書かれていました。ナメコで1.8倍、クリタケで1.6倍、ハタケシメジで1.3倍というように。記事では、この研究は、雷が落ちた所ではキノコが増えるというような言い伝えを実験的に調べることを目的としているようです。その後、A新聞の記事を読んだエッセイストのS氏は、10月31日付のB新聞の夕刊コラムで、雷とキノコについて、2000年前に書かれたプルタルコスの「食卓歓談集」に、「松路(トリュフ)というきのこは雷が鳴ると生えると言われているのはなぜか」と記載されていることを紹介しています。「食卓歓談集」が翻訳された岩波文庫では「松露(しょうろ)というきのこは雷が鳴ると生える、また眠っている人には雷が落ちないといわれるのはなぜか」との見出しで雷の不思議が述べられています。言い伝えは今に始まったことでもないようです。また、11月15日夕方のAテレビで放映された番組の中でも雷とキノコが紹介されていました。番組の中でキノコを使ったパスタ料理を紹介している時に、出演者がシイタケに高電圧を加えると良く生育することを雷と結び付けて紹介していました。マツタケも含めキノコが生えることには神秘性があるのでしょうか。
 翻って、歴史的には、空中電気の発見以降、雷などの電気現象と生物との関係について多くの研究が行われました。前々回の電磁気今昔で述べたように、フランスの修道院長ジーン・アントン・ノレ師は、植物を電気の中で生育すると電気の中では植物の蒸散が早まることを1747年に観察しています。1770年、イタリアのガルディーニ(Francesco Gardini)教授は、空中電気の植物への生育の効果を観察しようと、庭にワイア線を張ってその下の植物を観察すると多くが枯れ始め、ワイア線を取り外すと植物は生気を取りもどすことを報告しています。1845年には、イギリスのソリー(W.Solly)が同じような実験を行っています。これらの実験では、自然電気現象、直流の電気現象が対象になっています。
 雷の実験を行ったフランスのノレ師は植物についての実験を行っていますが、ノレ師が行った実験の様子を図(図は省略)に示します。実験に際して、彼は空中電気を一箇所に集めるようにしています。机の上に置いてあるのが電気を加えていない対照群と思われ、紐にぶら下がっているのが電気を加えた刺激群で金属製のコンテナに入れたアブラナ科の種子に電気刺激を加えている状態を示しています。ノレ師は、電気刺激を加えた種子は早く発芽し、茎も長くなったと報告しています。この図(図は省略)には、ネコを用いて電気刺激の実験を行っているのが見えます。ノレ師は、ネコをケージの内に入れ、電気を加えて、電気を加えていないネコと体重の違いを比較しています。ネコのほかに、小鳥、最後にはヒトにまで電気を加えた実験を行っています。ヒトについての結果は不明ですが、全て体重の低下が観察されると述べています。その理由を、ノレ師は生物体を毛細管の集合体と見なし、電気を加えることで、毛細管を通して水分の排出が早まるとしています。すなわち、代謝が早くなり、軽くなると考えました。しかし、今から見ると、もし、金属のケージの中にネコを入れて実験を行っているとすると、ファラデー遮蔽(しゃへい)と呼ばれる電気に対する遮蔽効果が考えられ、はたしてネコに十分な電気がかかっているかどうかについては定かでないと言えると思われます。
 フランスの人聖職者でモンペリエの物理学者であるベルトロン神父(Pierre Bertholon:1741-1800)も、数多くの電気による植物の栽培実験を行っています。彼の電気を用いて行った実験の多くは、植物、地球科学、ヒトの疾病を対象にしており、例えば、植物を対象にした場合、空気中の大気電気が植物の発芽、成長、開花、収穫に影響するというのが彼の理論的背景です。しかし、神父の試みは、今日から見るといささか馬鹿げていると捉えられている面もありますが、その基本的な考え方は今でも受け入れられているようです。彼は、雷の発生頻度記録と植物の成長に相関があると述べています。その相関を明らかにするには、帯電した雨水と植物の成長促進との関係を調べる実験が必要であると考えられます。今日、私たちは、雨水には雷によって生成された硝酸塩が含まれることを知っています。これが、植物の成長を促進させるのではないかと考えられています。空中電気を集めるのに、ベルトロン神父はエレクトロ・ベジトロメータ(Electro-vegetometer)なるものを組み立てました。これは木柱マストをアンテナとして剣山のような先の尖った多数の針を導体としてつないだものです。ベルトロン神父は、これを用いることによって植物の収量・品質が改善されるとしました。
 ベルトロン神父は、その後、電気マシンから電荷を植物に加える方式を発明し、次ページの図(図は省略)に示すような実験を行っています。これは、農夫が絶縁された四角いカートに乗って移動しながら、野菜に帯電された水(electrified water)をジョウロで撒き、野菜を生育させている様子です。また、小さな絶縁カート上で手に大きな金属の鉄砲状の筒を持ち、野菜に帯電水を与えるような方式も発明しています。しかし、このような方式で野菜の収穫が増えたとしても、なぜ増収したかノレ師の動物・植物への電気刺激実験との説明は難しいのではないでしょうか。ベルトロン神父は、農業における電気の利用は、植物の生育へ適用する以外に病気が侵入した果樹への電気的な殺虫などにも適用できると考えられるとしています。なお、ベルトロン神父は、ヒトの病気に対する電気の作用についての研究をも行っており、今日の電気を用いた療法(Electrotherapy)の先駆者ともいえます。彼は、マイナスの電気を用いて、雷が来そうな時、天気が変化する時にヒトが感じる症状を説明しようと試みています。この考え方は、ガルバーニの研究に影響を与えたとされています。
 その後、フィンランド・ヘルシンキ大学のカール・セリム・レムストレーム教授(Karl Selim Lemstrom:1838-1904)が、空中電気が植物の成長を促進する効果を観察するための実験を進めていきました。彼は、北極に近いスピッツベルゲンやラップランドを1868年から1884年にかけて旅行した際に、植物が生育するのは、日が長いことによるのではなくて他の要因があるのではないかと考え、それを北極光、オーロラがもたらす大氣と地球との間に流れる電流によるとしました。彼の実験結果の一例として、突針付きの鋼鉄ワイアを正(プラス)の電極とした架空線を準備し、その下にオオムギ、コムギ、ライムギ等を栽培し、オオムギ35%、ジャガイモ76%、ダイコン60%の増収を得たとするものがあります。また、ニンジン、イチゴ、キャベツ、エンドウなども試みています。一方、大地をプラスに取ると、20%ほど減少したと報告しています。実験によって条件が異なってきますが、加える電圧は2-70kV、電流は11A程度です。また、彼は電界を加える最適な時間として、朝早く4時間、午後遅く4時間を提案しています。しかし、曇りの日、夜間湿気があるような場合には、終日加えることを述べています。このような実験結果を詳しく述べたレムストレーム教授が著した(Elektrokultur(電気栽培):1902)が「Electricity in Agriculture and Hortculture(農業と園芸における電気)」として英文に翻訳出版されたのも、今から遡ること1904年です。レムストーム教授が著した電気栽培は、植物の研究者よりも電気関係の研究者がより強く興味を持つようになっていき、今日では、花卉・園芸関係よりも電気関係の言葉として頻繁に用いられているようにも思われます。
 空中電気、直流電界の植物への影響を見る研究は1960年以降にも進められました。米国、ペンシルバニア大学のマー(L E.Murr)は、実験室内に電気的な条件を人為的に変えられる設備を作り、植物の成長に対する効果を調べて行きました。彼は、植物体の上部に設けたアルミ板からなる電極に加える電界の強さを様々に変えて生育実験を行いました。その結果、これまで言われているような生育への効果には、電界で見ると一定の強度以下で現れることを述べており、電界がある一定以上の強度になると、生育へのプラスの効果よりも生育を阻害することを指摘しました。その効果の程度は、植物体に流れる電流の大きさを指標とすることで理解できるとしました。彼は、電気を加えた状態で植物体に流れる電流が10-5A(アンペア)以上では葉に破壊が生じ、10-6-10-8Aでベルトロン神父発明の灌水方式は葉に障害が見られ、乾物量が減少するなどのマイナスの作用10-9-10-15Aでは成長が促進し、幹物量の増加などのプラスの作用10-16A では何も効果は無いとする報告をしています。また、この結果から、致死電気屈極性「Lethal Electrotropism」という概念を提唱しています。
 最後に、前述した高電圧をかけてキノコの生育が活性化されるかどうかについての研究は、既に20年以上前にA大学の研究グループによって行われています。その結果、ホダギへの高電圧による電気刺激でシイタケの増収を導き出すことが出来るといった結論が得られ、実用化の研究が進められたことを追記しておきます。
 参考)
(1)宇宙航空研究開発機構ホームページ:http://iss.jaxa.jp/utiliz/
(2)プルタルコス:食卓歓談集(柳沼重剛訳)(岩波文庫、1987)
(3)Lemstrom, Selim: Electricity in agriculture and horticulture(BiblioBazaar, 1904)
(4)Benjamin Park: History of Electricity (John Wiley & Sons, 1898)
(5)Schiffer, Michael Brian: Draw the lighting down.(University of California Press, 2003)
(6)Murr, L.E: Plant growth response in an electrokinetic field. Nature, pp. 1177-1178(1969)

◆第9回:植物への電気刺激(2)

 空中電気の発見以降、自然の電気現象による樹木の生長や植物の収量増加を意図した実験、自然現象がヒトに与える影響を調べる研究が次第に進められていきました。ライデン瓶の発明により、電気を人工的にかつ安定に作ることができるようになったことから、多くの研究者が自然の電気現象を人工的に模擬した状況を作り出し、樹木、植物への影響についての研究に携わるようになりました。
 特に、前回の今昔で述べたように、レムストロ-ム教授が空中に配した架空線に電気を加えて、線下に植えた作物の収量を増加させることを目的とした研究は、「電気栽培(Electroculture)」として多くの研究者が注目するところとなりました。
【澁澤元治の研究と影響】
 明治生まれの澁澤元治(1876~1975)は、レムストレーム教授の研究に興味を持ち、1921年から9年間にわたり、電気の植物への成長についての実験研究を行いました。その実験の途中で得られた結果の一部を澁澤教授は、東京帝国大学植物学柴田桂太教授(1877~1949)との連名で、1927年の電気学会誌に「植物の生長に對する電氣の影響に関する研究」のタイトルで発表しました。論文の内容は、植物の成長に対して電気、すなわち高圧交流、高圧直流、高圧高周波電流を加えた時の影響を調べた基礎的な実験結果です。実験は、植物上方、15~30cm離した細銅線網に高電圧を加え、植物体にイオンまたは誘導作用による微小電流を流して、トウモロコシ、ソバ、エンドウ、コムギ、ゴボウ、ダイズおよびタバコを用いて、茎、葉全体の乾物量を比較しています。
 その結果を要約すると、
○交流50Hz、21kVを加えた場合、トウモロコシ、ソバ、エンドウ、コムギでは成長が促進され、特にソバでは8-8.9%ほどの増長が見られた。
○直流電圧、-(マイナス)10-15kVを加えた場合、タバコについては、当初、増長は見られないが、最終的には21.7%の増長が見られた。この実験では、電圧を一定に保つ、あるいは植物体内の電流を一定に保つために電圧を変化している。
○高周波電圧130kHz、13kVを加えた場合、ソバに12.5%の増長が見られた。
○さらに一定温度の暗箱中で、突針に130kHzの高周波、500Vの直流を加え、イオンによる影響を調べた。突針下においたエンバク(幼芽)の子葉鞘の伸長の増加が観察されたが、その原因は明らかでない。
 澁澤等は、このような実験結果を発表した後、引き続き圃場での実験を行いました。これら比較的小規模な温室および圃場を利用した9年間にわたった研究から、澁澤は植物の成長に対する電気の影響について、自著「電界随想」において以下のように回顧しています。
○植物は電気(高圧電流、高圧交流、高周波電流)の刺激によりある程度増長する。
 (但し、葉、茎の成長のみについての試験)
○レムストレーム教授の書にあるような多大の増収を得ることは極めて疑わしい。
○温室内の実験は、温度を調節することにより一年中数多くの実験をくり返し得て促進することが出来ると予想したのだが、夏期は温度が余りに昇って害がある。冬期は植物生活の自然の法則に反するので温度だけ昇しても結果が不安定となる。又温室内では実験に用うる植物の株数に制限があり各個の偏差による誤差が大きい。等の理由で余り多くの実験を期待することが出来なかった。
○植物は一般に個性による差が大きいから、実験室又は小なる圃場における実験結果を以てこれを広い農場の場合へ一般的に類推して断言することは大なる誤りを生ずる。
 さらに、「終りに一言する。余の行った実験結果は、実際農場に応用して経済的であるかは極めて疑わしいが、植物生理に電気がある影響を与えることは確かである。よってこれがためこの種の研究意欲を阻害することなく、更に条件を改め最新電子工学を応用して研究を試みられる有志の現われんこと。」と述べています。
 実験を行った澁澤元冶は、澁澤栄一(1840~1931)の甥で、パリにおいて、1921年(大正10年)に開催された第1回CIGRE大会(国際大電力システム会議)に主席代表として参加し、同時にパリのソルボンヌ大学で開かれたアンペールの発見100年記念式に列席しています。また、澁澤教授は電気保安行政の礎を築いたことで1955年に文化功労者になり、1956年には文化功労者として表彰されたことを記念して「澁澤賞」が制定されました。爾来、今日まで電気保安について顕緒な功績があった者が「澁澤賞」として表彰されています。澁澤教授は、東京帝国大学教授を務めた後、名古屋帝国大学(現名古屋大学)の初代総長を務めました。
澁澤教授らが行った植物の成長に対する電気刺激の実験は、余り顧みられることはありませんでしたが、40年ほど前、1970年代の後半より、人工的に発生させた電気の植物の成長に対する影響について、あらためて研究が行われるようになっていきました。そのきっかけは、電力需要の増加に伴い、高電圧の架空送電線が計画され、送電線を含め電力設備の環境問題が取りざたされ始めたことによります。例えば、1970年代の米国では、ニューヨーク州での送電線建設に対する反対運動を始めとして、幾つかの反対運動が見られた結果、送電線建設に伴う送電線の電気的な環境が周辺の環境にどのような影響を与えるか、特に生態系、農作物、放牧家畜や樹木などへの影響を明らかにする研究の必要性が叫ばれるようになっていきました。
【その後の発展】
 このような環境問題としての研究が進められていく中で、電気工学的に興味がもたれる現象も幾つか観察されるようになっていきました。その一つに、交流の高電界にさらされた植物の先端、葉先からはコロナ放電が生じ、そのコロナ放電によって生じる植物の損傷の程度と、損傷が見られる電界の強さが植物の形状や葉先の様子などによって異なってくることが明らかになっていきました。サボテンのような鋭く尖った形をした植物では、比較的低い電界の強さで損傷が生じること、一方、肉厚な植物では電界がかなりの強さになるまでコロナ放電が生じず、葉先の損傷が見られないことが報告されました。また、これらの現象を理解するために、電気工学ではよく用いられている針対平板電極からなる構造で高電圧と植物体が対面している構造を模擬して、絶縁破壊メカニズムにより植物で損傷が発生する電界の強さの予測ができることが明らかになり、電気工学の範疇で理解できる興味ある結果が得られています。
 さて、日本大学工学部の浅川勇吉名誉教授が、「電界を加えることで水の蒸発が促進され、取り除くと蒸発が遅延する」という現象を1980年代半ばに科学雑誌に発表しました。遡ること、1976年に、イギリス放送協会(BBC)がこの現象をテレビで放映するに当たって、浅川効果と呼んでいたことから、今でも「浅川効果」と呼ばれています。水の蒸発が促進する現象は、交流および直流10数kVの高電圧を針状の電極に加えて、コロナ放電で生じたイオン風による強制対流によると考えられます。簡単なモデル実験でこの現象は確認できますが、この効果を用いることで野菜・穀物類の腐敗防止、食品の保存・乾燥に応用でき、省エネルギー技術の開発が可能であると浅川氏は述べていますが、はたしてその後の研究の進み具合、研究成果の実用化は如何になっているのでしょうか。再度、挑戦してみても面白いと思われます。
 最近、電力をあまり使わず、安全・安心の観点から植物工場の照明に発光ダイオード(Light Emitting Diode:LED)を用いた野菜の生産システムの記事が新聞を賑わすようになってきました。高電圧刺激でキノコの収量が増加する記事に見られるように、電気刺激による植物の生育への効果については、多くの方々が興味をもたれているようです。植物に電気を加える実験は、ライデン瓶を用いた実験で見られるように、長い歴史があります。光を用いた野菜の生産に対して、光刺激の補助手段として電気による刺激を加えることで植物の促進効果を狙ったような植物の栽培研究も考えられ、これからも植物への電気刺激は繰り返し社会を賑わしていくのではないでしょうか。電気を用いて植物の生育をコントールできないかというテーマは、時代を超えて多くの研究者や技術者を引きつける磁石のように魅力があると思われます。
【参考文献】
(1)澁澤元治・柴田桂太:植物の生長に對する電氣の影響に関する研究。電氣学会雑誌173号、1259~1300ページ (1927)
(2)澁澤元治:電界随想(コロナ社、1963)
(3)Asakawa Y: Promotion and retardation of heat transfer by electric fields. Nature 261 220~221 (1976)
(4)浅川勇吉:食品類を保存する省エネ技術(科学朝日、7号pp.78~82, 1984)、電場で作物の発芽を制御できる!-続「浅川効果」(同、8号pp.118~122, 1985)、電場は化学反応を促進する(同、5号pp.80~85, 1986)

◆第10回:生物圏の物理環境

 最近の新聞に、『太陽まもなく「冬眠」』の見出しで『太陽の活動が約11年周期で活発になることは良く知られていますが、現在、その活動が不活発になる「冬眠」の準備に入ったのではないか』という興味ある記事が掲載されました。太陽が活発になると、太陽で発生する強い磁界によって地球の気象に大きく影響を及ぼすことが懸念されています。
【太陽と地球の環境変化】
 1989年3月13日の夜中、カナダのケベック州にある発電所が突然ダウンし、大規模な停電が発生しました。この停電は、600万人の人々に影響を与え、被害総額は700億円を超えたとされています。原因は、周期的に太陽の表面に現れる黒点で発生する強い磁界とされています。その磁界は、太陽面での爆発(フレア)を引き起こし、放出された太陽風(イオン粒子の流れ)が地球に襲い掛かり、大電流が電離層に流れ、地表に達し、突発的な停電を引き起こしたとされています。このように、地球を取り囲んでいる宇宙の環境変化が我々の社会生活に大きな影響を与えることが考えられることから、現在は宇宙の環境変化を予測する「宇宙天気予報」が検討され、(独)情報通信研究機構に宇宙天気情報センターが設けられています。それによって、電力系統や通信線・航空通信、GPS・気象予測、人工衛星への障害などに対する予報が試みられているようです。ちなみに、1989年以前にも電力系統や通信線に磁気嵐が障害を与えた例が見られていますが、これについては文献を参考にしてください。
 緯度が低い日本では、オーロラを見る機会はほとんどありませんが、太陽の環境変化による障害は生じるのでしょうか。
 我々が住む地球は、約46億年前に太陽系の一惑星として誕生しました。地球の原始大気は、じわじわと地殻から吹き出した火山ガスからなり、その主な成分は二酸化炭素と水蒸気であったと推測されています。何億年かの時の流れの中で、その水蒸気は凝集して水となり、地表面の約70%を覆う海洋が形成され、地球は水の惑星に変貌していきました。また、大気中の二酸化炭素は、藍藻や緑藻の光合成作用によって次第に酸素に置き換えられていきました。こうして、生物の存在を可能とする水と酸素の豊富な地球環境が形成されたと考えられています。
 太古の地球では、天空から強烈な紫外線が降り注いでいたと言われています。紫外線の強いエネルギーによって生命の出現が阻まれたことから、最初の生命は紫外線の到達し得ない海の中で誕生したとされています。それは藍藻の化石として、約20億年前の岩石中に発見されています。また、その岩石の中には、葉緑体の分解生成物と思われる高分子炭化水素の存在も確認されており、その頃にはすでに光合成が存在していたものと考えられています。この光合成による大気酸素の増加は、生物にとって第二の重要な環境の変化をもたらしました。それは、大気上層の酸素が太陽からの紫外線の影響を受けてオゾンとなり、地球周辺にオゾン層が形成されたことです。オゾン層は紫外線を遮蔽することから、これによって生物が陸上でも生存できるおだやかな地球環境が形成されたとされています。
 我々の住む地球は、その性質によって何層かに分けられる大気層によって覆われています。地表から約12kmの高度までが対流圏と呼ばれ、ここでは気象現象が卓越しており、大気は海や大地から熱を得て上昇し、膨張して冷え、水分の凝結で雲や雪や雨となっています。対流圏では、気象現象による静電気が発生し、地表面では約100V/mの電界が発生しています。また、大気は絶縁体をなしています。10~50km程度の上空は成層圏と呼ばれ、温度の上昇が見られます。成層圏の内部にはオゾン層が存在し、オゾンが太陽放射に含まれる紫外線を吸収し、大気を加熱することから成層圏が形成されています。成層圏から上、50~100kmを中間圏と呼んでいます。高度80kmくらいから450km付近までの上空は、電離現象が卓越し、電離圏と呼ばれています。ここでは、酸素原子が太陽の紫外線を吸収し、X線の吸収、酸素原子が陽子や電子に衝突して電離現象が起きています。電子密度の分布により、約90km以下をD層、90~140kmをE層、140~400kmをF層と呼んでいます。電離圏では電子やイオンの動きにより、電流が流れやすく、高層大気の潮汐運動や地球磁場の作用で流れる電流によって地磁気の日変動が生じています。
 人間も含め、すべての生き物や物体は、その温度で決まる光-電磁波-を出しています。たとえば、体温が37℃(絶対温度:約300K)の私たちは10μmの赤外線を発生しています。1900年代初め、この光の放射の問題を定量的に扱う必要が生じ、黒体-Blackbody-という理想的な物体が考え出されました。黒体による輻射の考え方を完成させたのは、量子力学の創始者の一人であるドイツ人、マックス・プランク(Max Planck:1858~1947)です。黒体とは、外から入射する光エネルギーによる放射を全部の波長にわたって完全に吸収、放出できる物体とされています。このような考えに基くと、太陽から放射される光エネルギーの波長分布は、約5,780Kの黒体から放射される光エネルギーの波長分布で近似できます。
 放射は、電磁波によるエネルギーの伝達であり、地球上での熱の出入りには太陽放射と地球放射が考えられています。太陽は約1.5億kmの彼方から、波長数百nmから数μmにわたる広い周波数範囲の電磁波-太陽の表面温度として5,780K-によって、1分当たり太陽に面した面積1平方m当り、1.95カロリーのエネルギーを地球に供給していることになります。この値は、大きく変わることはありませんし、1平方m当たりで1.36キロワット(kW)の電力に相当します。太陽放射の最大値は波長、約0.475μmにあります。一方、地球はその熱エネルギーによって暖められ、地表や海面、大気からはその温度(255K)に対応した電磁波-波長数μmから数百μm-が宇宙空間に放出されていますが、その地球放射による放射エネルギーと太陽からの入射エネルギーは平衡して、地表の温度は生命の維持に適した一定の温度に保たれています。地球放射は波長約11μmで強度が最大です。また、波長8~12μm領域で地球大気による吸収が弱く、地球大気の外に到達するため、この波長領域は「大気の窓」と呼ばれています。一方、二酸化炭素は波長2.5~3μm、4~5μmが強い吸収帯をなしており、この吸収帯があることから、地球温暖化の問題として二酸化炭素の増加が議論されています。
【進化をうながす電磁波】
 このような環境の中で、植物は光合成によって大気中の二酸化炭素を固定して酸素を作り、動物はその植物に依存して生命を維持してきました。こうして、地球には、他の惑星では見られない生物圏が構成されたのは、約5億年前のことと言われています。しかし、このような太陽の恵みを受けて育まれた太古の地球環境は生物にとって決して生優しいものではありませんでした。地球上には、多くの種類の強烈な放射線が飛び交っていたからです。このことは、1972年にフランスの原子炉庁によって、アフリカのガボン共和国で発見されたオクロ鉱床の天然原子炉が雄弁に物語ってくれています。驚くべきことに、オクロには、現在の原子力発電に使用されているものと同じ程度の高濃度のウラン鉱があり、自然の核分裂連鎖反応が行なわれていたのです。その核分裂生成物の詳細な調査により、この自然の原子炉は今から約17億年の昔に出現し、60万年の長期間にわたって約30kW相当の原子エネルギーを燃やし続けていたものと推定されています。この天然の原子炉の例から分かるように、太古の地球の表面近くには、濃度の高い放射性物質を含む岩石が多量に存在していました。そのため、地上の放射線環境は極めて厳しかったに違いありません。しかし、十数億年という長い年月の経過によって各種の放射能は次第に消滅し、現在の静穏な地球に落ち着いたものと考えられています。
 また、地球上の全ての生物は、はるか天空から降り注ぐ宇宙線にも曝されてきました。幸い、宇宙線は地球磁界や電離層の影響を受けて弱まりますが、ある程度の量-1平方cm当り1秒間1~2個程度-は常に大気を突っ切って生物圏に飛び込んできます。生物は、このように地球の岩石が発する放射線と宇宙から飛来する放射線の中で生存し進化してきました。放射線は生物の生命を脅かすと共に、突然変異を発生させ、それが生物進化の原動力となってきました。現存する生物種は海生、陸生合わせて約200万種を越しますが進化の途中で滅びた生物種の数は、恐らくその100倍を越すだろうと言われています。
 太陽からの電磁波と地球や宇宙からの放射線のほかに、生物は、生命発現の昔から、地球自身が作り出す電界、磁界、空気イオンおよび地球の周辺をかけめぐる周波数の低い電磁波にも曝されてきました。自然放射線が強かった太古には、電離による空気イオンの発生は現状よりはるかに激しかったため、それが生物に与える影響も大きかったと考えられています。また、熱帯的な気象条件の時代や、造山活動の活発な地質時代には、激しい上昇気流や火山の爆発による雷雲の発生も多く、雷による発電現象は現在よりはるかに強烈だったに違いありません。このため地球上には、常に強い静電界や低周波電磁界が存在し、それらは生物の進化に種々な影響を与えてきたものと推測されています。
 放射線はその強いエネルギーによって生物の生命を脅かし続けました。しかし、生物は同じ刺激を僅かずつ長期にわたって受け続けると、その刺激に対する対抗力が増大する性質-適応応答-があります。例えば、X線照射によってヒトのリンパ球に生じる染色体異常は、その細胞に前もって弱いX線を照射しておくことで減少することが知られています。これは、細胞が低レベルの放射線に適応応答-DNAの修復-するためと考えられています。このような現象を放射線ホルメシスと言い、現在も研究が進められています。
 電界、磁界および低周波電磁界の持っているエネルギーは、放射線とは比較にならないほど小さく、そのようなエネルギーレベルの低い自然現象に対しては、生物は適応応答のような防御手段としてではなく、生命を維持するための手段として積極的に利用してきたことが推測できます。例えば、トリの渡りや、魚の回遊には地磁気が利用されている可能性が実験的に調べられ、静電界や空気イオンは生物の成長にも深く関係しているようです。また、生命の基本的なリズムを作る生物時計の形成には、地球を駆けめぐる低周波電磁界-シューマン波-が深く関係しているのではないかと推測されています。
 【参考文献】
(1)坪井昭・堀内進:磁気嵐と電力系統。電気学会雑誌vol.108(3) pp.233-236 (1988)
(2)黒田和夫:17億年前の原子炉。講談社 ブルーバックス 720(1988)
(3)Konig HL:Unsichtbare Umwelt第5版(1986)
(4)宇宙天気情報センター:http://swc.nict.go.jp/contents/

◆第11回:シューマン共鳴

 「シューマン共鳴」は、1952年にミュンヘン工科大学のシューマン教授が、大気中での雷放電による低周波帯の共鳴現象を理論的に予測し、弟子のケーニッヒ教授が実験的に明らかにしてきた電離層を舞台にした現象です。ケーニッヒ教授が行った実験には、後に生体電磁気の研究で有名になる米国・ロードアイランド大学ポルク教授が共同研究者として参加しています。

【雷に由来する電磁波】
 シューマン教授(Winfrield Otto Schumann:1888~1974)はドイツのチュービンゲンで生まれました。若い時には、ドイツ・カッセルやウイーン近くのベルンスドルフやチェコ・プラハ近くのカーリン(ドイツ名:カロリネンタール)で過ごし、1920年に、シュツッツガルトにある工科大学で教授の資格を得ています。その後、ウイーン大学の物理学教授となり、1924年にミュンヘン工科大学の新設の電気物理研究室(その後、電気物理研究所に発展)に移りました。1961年に退官するまで、同研究室の教授として研究に励みました。シューマン教授は、高周波技術・プラズマ物理に興味を持ち、電離層の挙動、プラズマ実験を進め、波の伝播、稲妻によって誘導される電磁波問題を扱い、シューマン共鳴と呼ばれる一連の研究を発表していきました。
 この研究は、地球表面と電離層を球殻状の空洞と考え、雷放電で生じる電磁共鳴を理論的に明らかにしたもので、地球の表面と電離層の間で極超長波が伝播する現象です。今日では、理論的に予測したシューマン教授の名前にちなんで、シューマン共鳴と呼ばれています。岩波の理化学辞典によれば、シューマン共鳴は「地表と電離層との間の空間が導波管のはたらきをし、雷放電などで励起されて共振振動を生ずる現象。固有振動の基本周波数は約8Hzである。」とあります。シューマン共鳴の主な発生源は自然の雷放電現象です。下の図は1年間1平方km当たりの地球上への落雷分布の様子を濃淡であらわしており、熱帯地域を中心に絶えず雷が発生していることが分かります。
 雷放電は数Hzから数100MHzの幅の広い周波数帯域の電磁波を発生しますが、周波数の低い成分は伝播に伴う減衰が少ないので、地球の周囲を何回も駆け回ります。このため、低周波の電磁波は地球の表面と電離層の下面とで作る球殻状の空洞の中で共振し、定常波が発生します。その共振の基本周波数は、おおまかに、電磁波の伝播速度3×105km/sを、地球の周囲の長さ4×104kmで割った7.5Hz付近にあります。厳密には、電離層の境界面の電気伝導度が有限であること、球殻状の空洞という特殊な形状を持っていることにより、基本周波数は7.8Hzとなります。高次の共振周波数は、シューマン教授により以下の式であらわされました。
 基本となる周波数は7.8Hzであり、高調波として13. 5、19.1、24.7、30. 2、35.7、41. 3Hzが定在波となりますが、これらの低周波領域の定在波による共振現象がシューマン共鳴として知られています。また、ポルク教授(Charles Polk:1920?~2000)らの観測結果からは、比較的高い周波数の定在波は減衰するということがわかっています。

【後継者の研究】
 1924 年、ドイツの精神科医ハンス・ベルガー(Hans Berger:1873~1941)が、初めてヒトの脳の電気的な活動を記録し、Electroencepharogram(EEG:脳波)と名付けました。ベルガーは、α波の発見者でもあります。ヒトの脳波は、眠くなった時、興奮した時など活動の状態によって大きく変化します。その変化をあらわす様子の脳波は、α、β、θ、δ波などと呼ばれます。健康な成人が眼を閉じて安静にしていると、平均の振幅が10~30μV程度の電圧で8~13Hzの周波数の脳波が測定されます。これはα波と呼ばれます。眠くなっていくとα波は減少し、周波数は4~8Hzで電圧の低いθ波(徐波)があらわれます。また、神経の活動時や、感覚的な刺激を受けている時には、β波と呼ばれる14~25Hzの周波数帯の波があらわれます。このような脳波波形は、シューマン共鳴による波、局地的な電界変動波形と非常に類似していることが、ケーニッヒ教授(Herbert.L.Konig:1925~1996)らによって明らかにされてきました。このような類似性から、生物発現の太古から自然界に存在し、昼夜を分かたずに地球上を駆け巡っている雷に由来する低周波電磁界がヒトの脳波の形成に大きな影響を与えたのではないかと考えるのも自然なことと思われます。
 シューマン教授は、雷放電が生物に与える影響に興味を持っていたとのことですが、実際には教え子のケーニッヒ教授が引き継ぎ、生物に与える影響に関する研究を進めていきました。ケーニッヒ教授の研究グループは、酵母、バクテリアから動植物、ヒトに至るまで数多くの実験を報告しています。理論的な予測として、シューマン共鳴では7.8Hzが基本周波数になりますが、シューマン共鳴で観察される周波数帯を含んだ実験報告では、代表的な周波数として10Hzが取り上げられ、ケーニッヒ教授らは、気象変化に対してヒトは感受性を持っており、自然界にある周波数の電磁現象との関連性を述べています。また、10Hzの正弦波電界をヒトに加えると、概日周期や反応時間が変化することなども報告されています。シューマン共鳴に見られるような低周波帯の電磁環境に、ヒトは進化の過程で適応してきたのではないかと想像され、ケーニッヒ教授等が実験研究を進めていきました。
 シューマン教授がシューマン共鳴を理論的に予測した1950年代から1960年代にかけては、学術的な興味からシューマン共鳴、落雷に伴う局所的な電界変動の地球規模での観察などの多くの研究がなされました。その後、1959年以降、米国では、米国海軍の潜水艦同士の通信に低周波の電磁界を利用することができないかとの研究が、サングイン(Sanguine)プロジェクト(その後、Seafarer)の名の下で行われました。このプロジェクトには低周波電磁界の生態系や生物への影響を明らかにする研究が含まれていました。

【参考】
(1) Schlegel K and Fullekrug M: 50 JahreSchumann Resonance: Weltweite Ortung von Blitzen: Physiks in unserer Zeit 33(6): pp.256~261; 2002.
(2) 岩波書店:岩波 理化学辞典 第5版(1998)

◆第12回:シューマン共鳴(2)

 医学用語で振戦(トレモロ)という言葉があります。「身体の一部または全身に現れる意識と無関係に生じる不随的で、かつリズミカルで律動性のある振動」として定義されています。健康で健常なヒトに見られる振動は、生理的な振戦と言われています。例えば、両腕を横に伸ばし、伸ばしたままの姿勢をとると次第に腕が震え、かすかに振動してきます。これは筋肉が神経によって調節されている正常な現象です。その振動の周波数は8~12Hzで主周波数は10Hzですが、ほとんどのヒトはこのような生理的な振戦に気がつくことはありません。

【雷とシューマン共鳴現象】
 自然界における電磁波の主な発生源は雷です。雷は雷雲内に生じた多量の電荷を数マイクロ秒の間に数キロメートルの長さにわたって大電流として大地に放電させるもので、その電流は数千から数万アンペアに達します。これによって地球規模での電磁波が発生しています。曲がりくねった長大な放電路は長短さまざまな巨大アンテナの役割を果たし、その放電路の各部分から長さに応じた周波数の電磁波を放射しています。このような雷放電による電界の変動を遠方から観測すると、どのような波形が観測されるのでしょうか。雷放電からの観測距離が近い場合には、単一のパルス的波形ですが、観測距離が遠くなるにつれ、次第に周期の決まった振動波形に近づいていきます。振動波形になるのは、雷放電によって発生した電磁波が、大地と電離層との間を何回も反射しながら進行し、特定の周波数で共振現象を起こすからです。即ち、地表面と高い導電率を持っている電離層とで囲まれた球殻状の空間は、雷放電によって放射される電磁波に対して大規模な導波管の役目を果たしています。放電の際に放射される電磁波の周波数は、低くは数Hzから高くは数100MHzにまでわたっています。
 このように、地球上での自然界における電磁波の主な発生源は雷であると考えられ、電離層と地球との間では低周波の電磁波が放射されていることが理論的に予測され、観測からも明らかにされました。周波数の低い成分は伝搬に伴う減衰が少ないので、地球を何回もかけ回ることができるため、地表面と電離層下面とで作る球殻状の空洞の中で共振し、定常波を発生することになります。この現象は1952年にドイツのシューマン教授によって理論的に予測されたので、シューマン共鳴現象と言い、この共鳴波をシューマン波と呼んでいます。

【電界変動のヒトの脳への影響】
 シューマン教授の教え子のケーニッヒ教授らは、自然界で周波数が1~25Hzの電磁現象で生じる信号を分類し、局地的な気象変化によって生じる電界変動の周波数を、それぞれ8Hz、3~6Hzおよび0.7Hzに分類できることを述べています。同教授らは自然界に存在する低周波電界は、その周波数は大きく分けてこの3種類に分類され、それぞれをタイプⅠ、タイプⅡ、タイプⅢの電界変動と名付けました。また、ケーニッヒ教授らは、これらはヒトの脳波の周波数と同じ領域にあることから、このような低周波の電気信号とヒトの活動との間にはなんらかの関連性があるのではないかと考えました。
 雷によって低周波の電磁現象が生ずれば、その電界によって大気中には電流が流れ、その電流によって同じ周波数の磁界が発生することになります。一方、電磁波は周波数が高いほど減衰が多くなるので到達距離は短くなり、もし、一地点で観測した場合、電界と磁界の大きさは周波数にほぼ反比例することが報告されています。数Hzから十数Hzの超低周波領域の電界、磁界の大きさの概略値はそれぞれ10-3~10-5V/m及び10-12~10-14T程度です。
 ヒトの脳波の形成が自然界中の電磁界と密接な関係を持つならば、それは単にヒトだけではなく地球上のすべての動物も同じ周波数を持っているのではないかと推測されます。このような推測から動物(イヌ、ネコ、モルモット、ウサギ)および魚(サケ)の脳波の周波数を調べてみると表のようになります。表「ヒト・諸動物の脳波」を見てみると、動物も魚もヒトに近い数Hzから数十Hzの脳波を持っていることが分かり、シューマン共鳴波との相関性の推理は当たっているようにも見受けられますが、如何でしょうか。
 ケーニッヒ教授らは、地球上の電磁環境下で進化してきたヒトも、タイプⅠ、ⅡおよびⅢを含めた1~25Hzの周波数帯の電気的な変動と何らかの関係があるのではないかとの議論を深めてきました。また、ライター教授(Reinhold Reiter)は、「空気中の放電によって生じる電気信号は、その大きさは非常に小さいが周波数は50kHzまでに達する」ということを報告しています。このような現象のヒトの活動に与える可能性を解明するために、1953年にミュンヘンで開催された交通博覧会に際して、多数の入場者を対象とした興味ある実験が試みられました。それは、入場者を実験の被験者として椅子に座らせ、その座席の前に置かれたライトが点燈すると直ちに手元の反応テスト盤のキーを押して反応時間を測定し、反応時間とその時の自然界に存在する低周波電界との相関性を調査したものです。その調査結果を要約すると、タイプⅠの時には反応時間は短くなり、タイプⅡでは逆に長くなる結果が得られています。統計的な評価としては問題があると指摘されますが、空気中の放電による電気信号とヒトの反応に何等かの関連性があることを最初に報告しました。
 一方、このような自然界で生じる信号を人工的に発生させて交通博覧会の結果の確認を進めています。用いた信号は、タイプⅠは10Hzの正弦波形で、大きさは2V/m、タイプⅡでは基本周波数が3Hzとその高調波を含んだ波形で大きさは1V/mですが、交通博覧会での結果を確認しています。その後、10Hzパルスで変調された直流電界の、学生・労働者の注意力・集中力への影響を調査した実験、同様な電気刺激条件でドライブ・シミュレータを使用した反射能力、注意力などに対する影響が調べられました。
 その後、西ドイツ・マックスプランク研究所のウエーバ教授(Rutger A.Wever:1923?~ )はシューマン共鳴波の電気的な信号に着目して、10Hz、2.5V/mの電界がヒトの概日リズムに与える影響を調べました。地球上の多くの生物はほぼ24時間を周期としたリズムを持っており、その周期は概日リズムと呼ばれています。
 昼夜の明暗周期に対応するリズムに10Hzの電界が影響を及ぼすかどうかの実験を行いました。地下室に自然電磁界、外界の音や光を遮断した実験用の部屋を作り、その中にヒトが数週間に亘って住んで、活動や睡眠、体温、尿排出のリズムなどを測定し、10Hz電界とこれらのリズムとの関係を調べました。
 シューマン共鳴に関係する1~25Hzの電気的な信号がヒトの脳波と重なることから、自然界で見られる微弱な電界が生理的な影響を与えているのではないかとの仮説を設けて、1960年代にはドイツを中心に低周波の電磁現象がヒトに与える影響を明らかにする研究が行われました。その結果は、ケーニッヒ教授が著した著書で報告されていますが、残念なことに十分な再現性を踏まえた研究が行われていないのがこれまでの状況です。ウェーバ教授が行った外部の情報を遮断した環境下での10Hzの微弱電界のヒトの概日リズムへの影響、すなわち低周波の電界、シューマン共鳴波の電界が生物の持っている固有リズムの同調因子となるかどうかについての実験が、実験動物を用いて行われています。その結果については、次回の電磁気今昔で紹介したいと考えています。
 理論的にまた実験的に示されているシューマン共鳴波と生物の脳波や活動との関連性を明らかにするのは容易でないと思われます。10Hzのシューマン共鳴波がヒトに影響を与えていると考えることも出来ますが、ヒトの活動は多くの要因によってコントロールされていることから、10Hzのシューマン共鳴波が影響を与えると明言できるほどの十分な実験的な裏付けは乏しく、幾つかの実験による推測の域に過ぎないのではないでしょうか。ここでは、過去に行われた幾つかの実験の紹介にとどめます。

【参考】
(1) Konig HL:Unsichtbare Umwelt 第5版(1986)
(2) Koning HL and Ankermuller F (1960): Uber den Einflus besonders niderfrequenter elektrischer Vorgange in der Atmosphare auf den Menschen. Die Naturwissenschaften 21 pp.486~490
(3) Konig HL: Behavioural Changes in Human Subjects associated with ELF Electric Fields. In; M.A.Persinger (ed) ELF and VLF electromagnetic field effects, pp.81~99 (1974).
(4) Reiter R (1953): Neuere Untersuchungen zum Problem der Wetterabhangigkeit des Menschen, ausgefuhr t unter Verewendun biometeorologischer Indikatoren. Arch Meteorol Geophys Bioklimatol [B] 4(3): 327~377.
(5) Wever R (1973): Human circadian rhythms under the influence of weal electric fields and the different aspects of these studies. Int J Biometeor 17(3):227~232.

◆第13回:低周波電界と概日リズム

 ヒトは昼間には目覚め、夜になると眠くなります。しかし、ジェット機でアメリカやヨーロッパに旅行して、昼夜の時間がずれると昼間は無性に眠くなり、夜は眠ろうとしても眠れなくなることを経験し、ヒトによっては、これが2~3日続き、現地の昼夜になれたと思ったら、帰国という方が多いのではないでしょうか。これは、体内時計が、時差と無関係に元のリズムを維持し続けることによっています。ヒトの睡眠、体温、脈拍、酸素消費量などの生理機能の日周変化は昼夜の明暗周期と関係があると考えられています。言うまでもなく、動物も全て1日のリズムを持っており、ラットの体温、呼吸、活動も周期性を示しています。このように、地球上の全ての生物はほぼ24時間を周期としたリズムを持っており、その周期を概日周期と言い、その形成は生命の誕生以来繰り返されてきた地球の自転に基づく昼夜の明暗変化に対応して生体内に擦り込まれた生物時計によるものと考えることができます。
【ヒトのフリーランリズム周期】
 ドイツ、マックス・プランク研究所のアショッフ教授は、フリーラン(自由継続)リズム周期と照度の関係は、動物が夜行性であるか、昼行性であるかによって異なる「アショッフの法則」を見出しています。フリーランリズムは、外部の環境因子を取り除いた後もある周期で継続するリズムをあらわしますが、夜行性の動物では、フリーランリズム周期は照度が上がるにつれて、その周期は長くなり、恒常的な暗の場合には周期が最も短くなります。一方、昼行性の動物では、その周期は恒常暗で最も長くなり、照度が上がるにつれて周期が短くなります。この法則は、経験則として発表され、節足動物や昼行性哺乳類などに例外が見られます。
 さて、ヒトで体温や毎日の寝起きのリズムを記録すると、24時間周期のリズムが明瞭にあらわれます。この24時間周期は、太陽などの外界の要因によって強制的に同期されたものであり、生物固有のものではありません。そのため、外界の情報をシャットアウトした状態での生物の持つ固有のリズムを明らかにする実験が進められました。深い地下室など、音や光、外部の刺激を隔離した状態で生活していくと、1~2日で24時間周期がなくなり、25.3時間の周期となっていき、これが持続していきます。これはヒトが持っている自由なフリーランリズム周期は25.3時間であることを示しています。1960年代以降、ドイツのウェーバ教授はヒトの持っているフリーランリズム周期を観察していきました。その結果、周期が突然、25.3時間と33.4時間の2つの周期に分離する「内部同期はずれ現象」が見られました。また、25.0時間の周期でリズムを刻んでいたのが、突然、50. 0時間周期に変わり、しばらくして元の基本周期にもどり、その後、再度倍の周期になる「倍周期現象」が観察されました。
【電界と「内部同期はずれ現象」】
 このような中で、ウェーバ教授は地球電界がヒトのフリーランリズム周期に与える影響を調べるために、外界の音や光を遮断した部屋を地下に2部屋作りました。1室は電界が遮蔽され、他室は遮蔽されていないが部屋の大きさ、内装、家具の配置などは全く同じです。この一見何の違いもない2つの部屋に延べ50人の被験者を数週間にわたって住まわせ、彼らの活動と体温、睡眠、尿排出のリズムを測定しました。そのような測定の結果から奇妙な現象が観察されました。それは、遮蔽された室の被験者のリズム周期には25.3時間と33.4時間の2つの周期に分枝する、いわゆる「内部同期はずれ現象」が観察されましたが、非遮蔽室ではそれが1件も観察されなかったことです。また非遮蔽室の被験者のリズム周期は、遮蔽室の被験者のリズム周期より統計的に有意に短かった結果も得られています。次いで、ウェーバ教授は遮蔽室に自然界とほぼ等しい強度の低周波電界としてシューマン波、10Hz方形波で強さが2.5V/mの電界を加えた状態で、リズム周期の観察を行っていきました。その結果、電界をかけると直ちにヒトのフリーランリズム周期は短くなり、電界を切るとまた元に戻った結果が得られました。また「内部同期はずれ現象」は電界をかけている間は観察されませんでした。このような実験が繰り返され、自然界の10ヘルツの交流電界は、生体リズムとして、その周期を1.27時間ほど短くし、個人差を小さくすること、「内部同期はずれ現象」を抑制する、などが結論とされました。
【動物のフリーランリズム周期】
 ウェーバ教授が10Hzの電界がヒトのフリーランリズム周期に及ぼす可能性があることを観察しましたが、その後、実験動物のフリーランリズム周期に及ぼす直流電界および10Hzの方形波状電界の影響が調べられています。実験に用いた動物は、マウス、ショウジョウバエ、グリーンフィンチなどで、それらの運動活性リズム-Locomotor activity rhythm-が指標として取り上げられました。グリーンフィンチ(Cardeulis chloris)を用いた実験では、10Hz、方形波状で強度が2.5V/mの電界を繰り返し、入れたり切ったりしました。電界を入れるとフリーランリズム周期は短く、電界を切るとその周期が長くなり、ヒトで得られた結果と定性的に一致していることがウェーバ教授によって1973年に報告されました。一方、同じグリーンフィンチに同じ電界でフリーランリズム周期が調べられていますが、ウェーバ教授が報告した結果と異なり、10Hzの方形波状で同じ電界を加えても影響は観察されませんでした。実験は、8.7および65.2V/mの電界強度でも行っており、同様に、周期への影響は見られていませんでした。さらに、イエバエ(Musca domestica)の運動を10Hz、1kV/m、10kV/mの電界中で調べることで、電界がリズムの同調因子となるかどうかを確認することで、ウェーバ教授がヒトで行った観察結果の再現を試みた実験もあります。これらの実験は電界が生体のリズムに対する同調因子となる可能性を示唆していますが、実際の実験中での電界の測定がなされていない、それぞれの実験に用いた動物の個体の数が少ないなど種々問題点が指摘されます。
 1970年代には、自然発生電界の影響として、10Hzの電界とファラデー遮蔽条件下でのマウスの代謝の違いが調べられ、外部の電界を遮蔽したファラデー遮蔽条件で見られる変化が、10Hz電界で改善されることなどが発表されました。10Hzで3.5kV/mの交流電界、3.5kV/mの直流電界ならびにファラデー遮蔽条件下でマウスの行動を調べると、10Hz電界中での活動が活発になること、マウスは電界の違いを認識していることなどが報告されています。ファラデー遮蔽条件下では、ほぼ自然界中の電界をゼロにすることができます。
【測定方法の問題点】
 このようにシューマン共鳴による10Hz電界がヒトや動物の行動や概日リズムに対する影響を調べた報告を示しましたが、明確な結論は得られていません。その原因は、一定に制御された環境下で電界のみを実験の対象に与えることが困難な点です。また、ばく露ケージの材質、ばく露方法を検討すると実験の環境条件のわずかな違いで、電界の大きさが変化し、一定に保たれないこと、報告には電界の実測方法や測定値も示されていないなどの問題点があり、電界を加える電源からの雑音やコロナ放電などの実験技術的な要因を考慮する必要が指摘されます。